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2015年04月30日06:32

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読んで字の如し〈草冠ー12〉「芥」

「芥川賞」……芥が流れる川を記念した賞
「草芥」……草はゴミである
「荊芥」……荊もゴミである
「芥虫」……ゴミから生命が発生するという主張
「大海は芥を選ばず」……プラスチックは勘弁して欲しい(by海の代弁者)
「芥子」……ゴミの子供
「芥子和え」……ゴミの子供まみれ
「獅子唐芥子」……一味をまぶされたライオン

【ただいま読書中】『戦国の日本語 ──五百年前の読む・書く・話す』今野真二 著、 河出書房新社(河出ブックス)、2015年、1600円(税別)
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 日本語は、平安時代までの「古代語(「係り結び(文中の係助詞が末尾の活用形を決める)」が保たれている)」と江戸時代以降の「近代語(「係り結び」が破壊されている)に二分できるそうです。なるほど、だから江戸時代の本は平安時代のものに比べてはるかに読みやすいんだ、と私は納得です。そしてその間の鎌倉・室町時代は移行期です。となると、鎌倉〜室町の日本語を調べることは、古代語と近代語の関係を知ることになります。
 公家の日記は漢文で書かれていました。日記とは文字通り「日々の記録」であり、公家の日々とは公的なものですからそういった記録は公性を持つ漢文で、ということだったそうです。その「公性」は現代の漢字かな交じりの書き言葉にも受け継がれています。この公家の日記から「ことば」に関する記述が拾い上げられていますが、読書・書写・校合(書写した本を原本と付き合わせる)・創作(連歌、和歌、漢詩など)とかなり多彩です。こういった日々の活動によって「ことば」は少しずつ変容していたはずです。
 室町時代の辞書「節用集」は、現在の辞書とは違って「集めたことばのデータベースを使いやすいように検索のキーで分類した」といった体裁で編纂されています。ことばはまずは「いろは」順に分類されますが、その次に「天地」「時節」「草木」「人倫」などの「門」による分類があります。「雲」はまず「ク」の部のページを開いて次に「天地」の門を見たらそこに載っている、という感じです。面白いのは「狐」が「クの部」の「畜類門」に載っていること。つまり室町時代には「狐」は「キツネ」ではなくて「クツネ」だったのです。ほかにも「サザエ」が「サザイ」だったり「カタツムリ」が「カタツブリ」だったり、現代とはちょっと違うことばが使われていたことがいろいろわかります。
 キリスト宣教師にも感謝をする必要があります。彼らが発行したローマ字本や日葡辞書から、戦国時代の日本語がある程度わかるのです。たとえば「蛙」は、書き言葉では「Cayeru」ですが話し言葉では「Cairu」だそうです。
 秀吉の手紙も登場しますが、漢字よりもかなが圧倒的に多く、紙に書ききれなかったら最初に戻って行間に追加の文章を(字を小さくして)押し込んだ紙面からは、秀吉の肉声が響いてくるように感じられます。当時の人はもしかしたらこんな感じの話し言葉を実際に使っていたのではないか、と思えます。
 今から数百年後の人が「21世紀の日本人はどんなことばを実際に話していたのだろう」と思って、残された映像作品やツィッターの文字情報から「こんな会話をしていたんだ」と断じる、という光景を想像してしまいました。しかし、資料は豊富にあるでしょうが、あれが「スタンダードの日本語」かしら?


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