mixiユーザー(id:235184)

2015年03月09日06:44

369 view

スポーツカーの運転

 私はスポーツカーに少しあこがれを持ってはいますが、問題は私の運転能力です。「スポーツカー教習所」なんてものがあれば良いのですが、たぶん私の力では、その教習所を卒業することはできないでしょう……の以前に教習所に入るための試験にあっさり落第してしまいそうです。

【ただいま読書中】『フェアレディZ開発の記録 ──売れるスポーツカーを作ろうと思った』植村齊 著、 東京図書出版、2014年、1500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862237479/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4862237479&link_code=as3&tag=m0kada-22
 NHKの「プロジェクトX」が、半分やらせだったことがのっけから暴露されます。やらせ、というか、現実を無茶苦茶恣意的に“編集”して、そのドラマ仕立ての脚本に沿って登場人物たちに演技をさせていた、のだそうです。
 まずは、戦前戦後の「名スポーツカー」の羅列です。1930年代からはDKWフロントスポーツロードスター、ウィーコフスポルトワーゲン、オペルスポーツロードスター……いやあ、写真を見るとレトロなスタイルが素敵です。日本でも、ダットサンとオオタがそれぞれロードスターを発売していましたが、市場は限られていました。戦後はまず日産がスポーツカー市場をリードし、ついでホンダとトヨタが参戦します。さらにマツダがロータリーエンジンで参戦。日本をリードしていたはずの日産は、いつの間にか他のメーカーの後塵を拝するようになってしまいました。そこで日産の設計でも、革新的なスポーツカーを作りたいという気運が高まっていました。日産のトップは、すでにフェアレディとシルヴィアの二種類のスポーツカーがあるのだから十分、という判断でした。しかしアメリカからはフェアレディに対するクレームが多く、第一設計部の原部長は、見切り発進で開発のための人事異動を行います。技術的な責任者は第三車両設計課の鎌原課長で、著者はその下の総括担当でした。合い言葉は「売れる車を作ろう」。メインターゲットは北米市場。しかし、ゼロから新しいスポーツカーを作り始めて、半年以内に試作車が完成、というすごいスケジュールです。関係部署の数も多くて調整が大変ですし、国によって車の規格に関する法律が違うので輸出する可能性のあるすべての国の法律をクリアしておく必要もあります。
 すべてお膳立てが整ったところで、首脳陣の説得です。なんだか順番が逆のような気がしますが。そして説得手段がまた姑息的。しかし現場が姑息な手段を使わないと「売れる車」の開発にゴーサインが出せない首脳陣というのも、ちょっと(いやいや、相当)情けないものがあります。
 北米を文字通り縦横に長距離走行テストを行なって不具合を抽出し、ついに発売。性能とコストパフォーマンスの良さが評判となり、フェアレディZは「売れる車」ではなくて新工場まで必要になった「予想外に売れてしまう車」になってしまいます。しかし名前の「Z」について、当時はいろいろ言われていましたが、実はけっこう適当に命名されていた、という裏話が笑えます。テレビドラマではない現実は、そんなものなのかもしれません。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年03月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031