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2015年02月09日06:57

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コミュニケーションの難しさ

 智に働けば角が立つ。
 情に棹させば流される。

【ただいま読書中】『「感染症パニック」を防げ! ──リスク・コミュニケーション入門』岩田健太郎 著、 光文社新書725、2014年、860円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/433403828X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=433403828X&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「リスク・コミュニケーション」とはコミュニケーションの一種ですが、著者は最初から「することが目的なのではなくて、結果を出すことが目的」と辛辣に述べます。日本では、コミュニケーションに限らず「一生懸命努力しました」が異常に高く評価されて結果が出なくても許されることへの反発の表明です。著者は医者ですから、そういった世界の見方をするのは当然でしょう。「治してナンボ」の世界ですから。
 リスク・コミュニケーションを著者は「クライシス・コミュニケーション」「コンセンサス・コミュニケーション」「ケア・コミュニケーション」にまず分けます。「クライシス」は危機的状況で「強い口調」で行われ、「コンセンサス」は合意形成のために行われます。「ケア・コミュニケーション」は科学的に確立した概念の下で行われますが、現在の医学はまだ不完全なのでこれは医学では用いにくい、と著者は判断して、「医学におけるリスク・コミュニケーション」は「クライシス・コミュニケーション」と「コンセンサス・コミュニケーション」に簡略化して扱うことを宣言します。たとえば「エボラ出血熱の患者を病院でどう扱うか」を決定するとき、すでに運び込まれていたら「クライシス・コミュニケーション」で、まだ“事前”だったら「コンセンサス・コミュニケーション」を用いる方がスタッフの動きはスムーズになるはずです。
 次は「リスクの見積もり(アセスメント)」。過大に見積もるとパニックになりそうですし、過小評価は不感症を招きます。「正しく恐がる」ことが必要です。ここで重要なのは「リスクが起きる可能性」と「起きたときの損害の大きさ」を“別々”に見積もること。これを混同する人が多いんですよね。「コワイ(起きたら恐い)」となると、可能性の小ささを度外視してパニックになってしまう人が。
 具体的な内容の「コミュニケーションの技法」が次々登場します。その中で特に私にとって印象的だったのが「マスコミとの付き合い方」。記者会見をするのならきちんとそのためのトレーニングを受けておけ、と言われても、どこでそんな体験を積めば良いのでしょうねえ。
 おそらく本書に最も頻出する単語は「目的」です。会議をするにも役割を分担するにも、病院でリスク・マネージメントをするにしてもリスク・コミュニケーションをするにしても、「目的」を明確にし、しかもそれを病院全体で共有することが重要です。ただし「目的に固執すること」は手段と目的の転倒となってしまいます。状況が変化したらそれに合わせて目的が変わることは当然あります。その場合でも、変更手続きは明確にしておくことと、変更した目的を病院全体で共有することが重要となります。
 これって、「病院」以外の企業でも同じことが言えるのではないでしょうか。病原体以外の形であっても、「リスク」はどの企業にも襲ってくるものでしょうから。
 なお、本書の第2章に具体的な例として取り上げられている「エボラ出血熱」「西ナイル熱」「2001年のバイオテロ(炭疽菌)」「SARS(2003年)」「新型インフルエンザ(2009年)」「デング熱(2014年)」は、それぞれの病気単体について知りたい人にも、非常に簡潔でわかりやすいまとめとなっています。そういった点でも“お得”な本です。


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