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2015年02月01日07:04

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地理不案内

 東の人間で「島根と鳥取の位置関係がわからない」人がけっこういること、を笑う西の人間がけっこういますが、そういう西の人間でも「関東地方(特に北関東)の各県の位置」についてきちんと言える人はけっこう少なかったりします。これはお互い様、というところでしょう。
 今回ちょっと「千葉県流山市」の位置について検索をしたら、流山市が千葉県の北西・埼玉県境に存在していることを初めて知りました。この検索のおかげで東京都と茨城県の間には埼玉県や千葉県がはさまっていて、東京と茨城は直接には接していなかったことも、私は今回初めて知りました。
 ……ところで、愛媛県と徳島県が接しているかどうか、自信を持って答えることができます? 山形県と岩手県は?

【ただいま読書中】『流山みりん物語』川根正教 著、 崙書房出版、2014年、1200円(税別)
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 「蜜淋酒」「蜜淋酎」「蜜林酒」「美淋酒」「美淋酎」「味醂酎」「味淋酎」「味淋酒」……すべて「みりん」です。どうも「蜜のように甘い酒」がもともとの意味のように見えますが、実際に飲んだらたしかにとても甘い。私が聞いた話では、江戸時代には「酒」として飲まれていたけれど、今は調味料になっていて、「酒」として飲まれるのはお正月のお屠蘇の時だけその名残がある、のだそうです。
 「みりん」が初めて歴史に登場したのは、秀吉への献上品としてでした。明治4年の酒税法では「みりん」は「酒」と定義されています。
 製法はユニークです。まず粳米で麹を作ります。それを餅米を蒸したものと合わせてから、大桶の焼酎に投入。すると焼酎の中で麹菌によるデンプンの糖化と熟成が進み、最終的にアルコール分15度くらいのみりんが完成する、というわけです。日本酒の醸造で、酵母菌の活動を抑えるために適当なところで焼酎を加える、という手法がありますが、みりんでは最初から酵母は活動させないわけです。
 もともと江戸には「下り酒」として上方から酒が大量に輸入されていました。それに対抗して江戸近辺でも酒の醸造が始まります。その産地の一つが現在の千葉県流山市でした。ところがどうしても下り酒に対抗ができず、江戸の酒は苦戦していました。そういった文化十一年(1814)、従来のみりんよりも透明な「白みりん」が流山で誕生しました。この白みりんは、天保年間(1830-44)には三都で名を知られるようになっていました。
 江戸時代に日本料理が進歩するにつれ、みりんは「酒」から「調味料」に変身していきました。醤油の味を和らげるために、京では清酒が、江戸ではみりんが加えられるようになったのです。やがてみりんは全国に広がっていきます。
 流山は発展し、廃藩置県で印旛県ができたときには県庁が置かれるくらいになりました。
 開国に合わせ、流山みりんは「世界」に打って出ます。明治六年(1873)ウィーン万国博覧会への参加です。国内でも内国勧業博覧会などに次々参加して、流山みりんは高い評価を受けるようになり、宮内省御用達にもなります。
 本書で私はいくつか“新発見”をしました(というか、私がものを知らないだけなのですが)。みりんの製造法もその一つですが、もう一つ、落語の「紺屋高尾」に「流山のお大尽」が登場することも本書で再認識できたのです。落語を聞いたときには「金持ちのことね」と思うだけで流山がどこでそのお大尽が何で儲けたのか、なんてことはちっとも考えていませんでした。この世には、私が知らずにいる面白いことがまだまだ山のように存在しています。それを示してくれる本は、本当にありがたいものです。


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