mixiユーザー(id:235184)

2014年12月22日07:08

50 view

よかったよかった

 もちろん「より良いものをより安く」が消費者の利益ということになるでしょうが、商品選択の自由(豊富な品揃え)とか消費機会の確保(「買い物難民」にならずにすむこと)のことも考えると「商店が存在することのコスト」を誰が負担するのか、という問題に突き当たってしまいます。すべてを通信販売で、という世界もあるかもしれませんが、リアル商店が必要だったら、それを存続させるためのコストは結局消費者が最終的に負担するしかないのでしょうが、ではその見返りは? 「開いててよかった」ではなくて「あってよかった」かな。

【ただいま読書中】『セブンーイレブン 覇者の奥義』田中陽 著、 日本経済新聞出版社、2006年、1600円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4532312450/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4532312450&link_code=as3&tag=m0kada-22
 2005年、セブンーイレブンの株式50.1%を握るイトーヨーカ堂の時価総額はセブンーイレブンの時価総額の約半額でした。つまり、イトーヨーカ堂を買収したらもっと価値の高いセブンーイレブンを支配できるわけです。その「資本のねじれ」を解消するために純粋持ち株会社の「セブン&アイ・ホールディングス」が設立されました。この持ち株会社の下に、セブンーイレブンもイトーヨーカ堂もデニーズもぶら下がることになります。さらにこの年の年末、ミレニアムリテイリング(西武百貨店とそごう)も「セブン&アイ・ホールディングス」の下にぶら下がることになりました。マンションの一室程度の広さの店が、日本の流通業での“巨人”になったのです。
 セブンーイレブンの出店戦略は明快です。同一地域に高密度に多店舗を展開する「ドミナント方式」と呼ばれる方式です。74年最初の店が江東区だったことから、最初は東京都では江東区から一歩も出ない店舗展開をおこないました。その戦略は現在も継続中で、コンビニ2位のローソンや3位のファミリーマートが全都道府県に店舗を展開しているのに対して、業界トップのセブンーイレブンは本書出版時には34都道府県に留まっています。
 24時間営業の実験は75年に始まっています。条件の悪い福島県郡山市の直営店で24時間営業をしたところ、売り上げが63%も増えました。FC(フランチャイズ)店での24時間営業は76年からです。ちなみに、営業時間が16時間でも24時間でも電気代は(冷蔵や冷凍ケースはずっと稼働していますから)ほとんど変わらないそうです。
 「NDF(日本デリカフーズ協同組合)」は、セブンーイレブンに弁当や総菜を提供するメーカーが集まった非営利団体です。ただそのシステムは「大企業の下請け企業の集合体」を思わせるにおいがぷんぷんします。提供する商品の「品質」や「規格」を一定に保つために、企業秘密やノウハウの壁を乗り越えての“共同作業”が必要になるのです。ここを読んでいて私は、トヨタが下請け企業に製作機械を貸すことで部品の品質を一定に保とうとしていることを連想していました。ただ、トヨタはあくまで「上」ですが、NDFが活動を始めた79年頃にはセブンーイレブンはまだ企業の格としては「下」だったはず。それが今では、キューピー、ハウス食品、プリマハウスなど(の子会社)が参加して様々な食品を製造しています。
 総菜で「出汁の地域差」に注目して各地で対応しようとしたことが、そのまま「おでん」での成功につながりました。おでんの種にも様々な細かい仕掛けがしてあります。大根は直径6cmに統一、使わないものは漬け物にして弁当に入れます。早く味がしみこむように大根の表面には細かい溝が切り込まれていますが、なんと白滝の表面にも縦に細かい切れ目が入れてあるのだそうです。はんぺんを練るのは石臼で、そのため不規則な気泡が入りふわっとした食感となります。
 「セブンーイレブン」の誕生は、ほとんど偶然の産物でした。高度成長期の1965年ころ、スーパーマーケット業界8位のイトーヨーカ堂は、アメリカ型のショッピングセンターに活路を見出そうとしました。しかし不調。そこでデニーズを日本に勧誘しようとします。その交渉で渡米した幹部社員は、あちこちに「7-ELEVEN」があることに気づきます。直感と不思議な縁に導かれて、サウスランド社との交渉の重い扉が開き、日本に「コンビニ」と「フランチャイズ」が初めてやってくることになります。もっとも、アメリカ式の商法は通用しないということで、ずいぶん日本式に“翻訳”された商法になっていましたが。
 それに興味を持った豊洲の山本繁商店が“手”を挙げ、第一号店となります。売り上げは上々でしたが、配送は混乱します。1日に70台もトラックがやってくるのです(平均14分ごとです)。商品はでかい段ボール箱ごとで小分けにはしてくれません。多頻度多品種少量の配送を確立する必要がありました。この物流インフラをゼロから作ることで、店舗へのトラック数は減便されました。在庫も減りきめ細かい発注で廃棄ロスや機会ロスも減ります。「利益」の点からは良いことだらけです。というか「利益確保」が至上命題なのです。
 各店舗の発注業務や会計管理は本部が肩代わりでやってくれます。配送ドライバーには運転テクニック(車重によるギアチェンジのタイミングを変更)の指導もあります。陳列ケースや冷蔵ケース、床のタイルも進化しています。なんとも地道できめ細かいやり方です。そして、当時は大きなニュースとなった、ATMの設置やセブン銀行。このあたりの裏話は知らないことばかりでした。旧弊な業界や官僚がどのくらい日本の邪魔をしているのか、以前から感じてはいましたが、ここでもその感じは強化されるばかりでした。ついでですが、ATMは意外な利用客を獲得しています。一つは消費者金融の利用者(専用ATMと違って、自分がそこを利用していることがわからないから利用しやすいのでしょう)。もう一つは、セブンーイレブンの店主。売り上げを金融機関に持って行かずに店内のATMから入金すれば良いのです。これは、時間の節約と安全確保に大きいそうです。
 そして、バブル絶頂期の89年、「アメリカの本社」サウスランド社が莫大な負債と赤字に苦しみ、ヨーカ堂グループに支援を申し込みます。ヨーカ堂と日本のセブンーイレブンは600億円を出資します。これも「日米逆転」として大きなニュースになりましたっけ。ちなみに、このときのサウスランド社を再建させたスキームが、10年経ってから日本で不良債権処理の手法として活用されることになるそうです。アメリカに日本流のやり方を持ち込んで店舗の成績は向上しますが、摩擦も盛大に発生します。このへんは、法律や商習慣が全然違うから仕方ないでしょうが。さらに日米の利益相反の問題も生じ、とうとう最後にアメリカセブンーイレブンは日本の完全子会社になります。
 コンビニができた当初、私は「スーパーの方が品揃えが豊富だし安いのに」と思っていました。しかし今はけっこうコンビニを利用しています。たぶん私は、商品だけではなくて「コンビニエンス」も購入しているのでしょうね。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年12月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031