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2014年12月20日07:12

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裸体のデッサン

 美術学校では授業としてヌードモデルをデッサンする、と聞いて驚いたのは、私がまだ思春期前のことだったでしょうか。今だったら「着衣のポーズを描くためにも、衣服の中で肉体がどのように存在しているかがわからないと、変なデッサンになる」というリクツはわかります。それが極端なところまで行き着いたのが、レオナルド・ダ・ビンチの解剖でしょうね。
 たしかに私も、漫画などで、手足があり得ない確度に曲がっていたりする絵を見ると「もっとデッサンを勉強しろ」とちょっといらっとすることはあります。ギャグ漫画のデフォルメだったら別にかまわないのですが。

【ただいま読書中】『ヌードと愛国』池川玲子 著、 講談社現代新書2284、2014年、800円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062882841/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4062882841&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「ヌードは様々なものをまとっている」と、不思議な主張で本書は始まります。ヌードには必ず「意味」が着せかけられているのだそうです。なるほど、それならわかります。「衣服を脱がせる」ことを無意味には行えませんから。そしてその「意味」の一つに「日本」があります。
 著者は、1900〜1970年の間から7体の「日本を着込んだヌード」を選び出しました。この7つのヌードを時系列で分析したら、そこから「日本」が見えてくるだろう、という試みです。さてさて、どんなヌードが、そしてどんな日本が見えてくるのでしょうか。
 最初に登場するのは「智恵子が描いた男性ヌード」。「智恵子」とはあの『智恵子抄』(高村光太郎)の(長沼)智恵子です。1907年、智恵子は日本女子大から谷中の太平洋画研究所に移ります。当時「絵を描く女性」は時代の最先端で、08年から連載となった『三四郎』(夏目漱石)のヒロイン(平塚らいてうがモデルという説がある)美禰子も野々宮よし子も「絵を描く女性」です。研究所の授業は厳しく、「写実」が徹底されました。だから男性研究生は股間も“リアル”に描きましたが、女性研究生のデッサンは、どれも妙にあいまいな描写になっています。そこに警察からの「猥褻物は展示してはならぬ」攻撃が。さらに画壇の勢力争いもあり、男性研究生は陰部の描写から撤退します。するとこれまであいまいに描いていた(そしてスタイルを変えようとしない)「智恵子のデッサン」が目立つことになってしまいました。
 次に登場するのは竹久夢二です。彼は本格的な洋画家を目指して修行しますが夢破れて日本画調のサブカル画家のポジションに位置することになります。そして、「夢二式美人」は大人気となりますが、その人気が陰りを見せ、夢二が新天地開拓を求めて渡米する直前に「ヌード」が次々登場するのです。竹久夢二のヌード……さて、それはどんなものだったのでしょう。
 日本映画での「初ヌード」は、1920年(大正9年)「幻影の女」での入浴シーンだそうですが、フィルムは失われています。二番目のヌードは1956年「女真珠王の復讐」と通説ではなっていますが、著者はそれを否定します。1941年に日本政府観光局が外国向けに作った「日本の女性」という映画に、日本の女子学生が集まる美術教室で全裸でポーズを取る女性モデルが映っているのです。この映画は、日米関係の緊張が強まることでアメリカからの観光客が減ったことをなんとかしようとした宣伝映画でした。そのため原案はハリウッドの関係者が作り、最初は海女のシーンでヌードがどんと登場するはずでした。それが美術教室のシーンに変更されたのです。当時日本映画では、ヌードは厳しい検閲の対象でした。例外もいくつかありましたが、その例外の一つが外国向け映画だったのです。アメリカ人が最初に想定したヌードは「エロティシズム」でした。しかし実際に日本人が撮影したヌードは「文化」でした。欧米から後進国として見られることへの日本の“回答”が、こんなところにもありました。
 1943年に撮影された映画「開拓の花嫁」は、満州に移民した男性に対する「大陸の花嫁」募集映画でした。そこには「授乳する乳房」が登場します(おそらく日本初)。撮影したのは「女の癖に」監督になった坂根田鶴子。当時「映画村」には女性が次々採用されていたのです。そして、「女であるからこそ」採用された満州映画協会で坂根は「プロパガンダ映画」のはずの「開拓の花嫁」に、様々な意味を被せていきます。著者は反戦のイメージさえそこから読み取っています。ただし、この映画に描かれた「素晴らしい新天地・満州」に心躍らせて海を渡った人たちは、後にひどい目に遭うことになるのですが。
 女性の社会進出と言えば、婦人警官も1932年(昭和7年)に初めて採用されています。戦争によって男が不足すると、警官不足を女性と子供が補いました。大阪の「少年警察官」は、1938年発足当時は17歳以上でしたが41年には15歳以上となり(リアル「がきデカ」です)、43年には女性が補助員としてどんどん採用されるようになりました。北京やマニラにはすでに婦人警察官がいましたが、憲兵隊は「治安の安定」だけではなくて「抑圧された婦人の解放」のために彼女たちを活用しました。それと似た動きをしたのがGHQで、戦後日本でも婦人警官が“活用”されます。それが象徴するのは「婦人解放」「母性」「セクシー」。ちょうど占領軍相手の特殊慰安施設が閉鎖されて、街にパンパンが溢れた時期のことでした。この話のどこに「ヌード」が登場する余地があるんだ?と思う“場面”設定ですが、ちゃんと「当時の日本」をまとった婦人警官に関連したヌードが紹介されます。ちょっとショッキングな形で。
 そしてまたもや「智恵子抄(の影響を受けた映画のヌード)」が登場します。これまた意外な「日本」です。そして最後は、パルコのポスターと黒田清輝の“関係”。いやあ、「日本」です。しっかり「日本」をまとったヌードたちです。
 「ヌード」は文化・社会の中では「際物」「色物」扱いをされるものですが、だからこそ「日本」も“尖った”形でそこに表現されるようです。新書版なのが惜しい。本書に数多く散りばめられた図版は、もうちょっと大きな紙面で眺めたかったなあ。


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