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2014年12月11日19:01

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太陽光発電の広告

 今日の朝刊に「太陽光発電事業参加者募集」の全面広告がありました。20年間安定した収入が見込まれる、という「バラ色の未来」が謳われています。だけど、その新聞で「あちこちの電力会社が『もう買い取り枠が一杯になったから』と太陽光発電の買い取りを拒否して参入しようとした人びとが途方に暮れている」と報じたのはつい先日のこと。まだ新規参入ができる場所が日本のどこかにあるのかもしれませんが、少なくとも「バラ色の未来」がこの「事業」の新規参入者にあるとは私には思えません。業者は、機材が売れたりコンサルタント料が取れたり融資の口利きでバックマージンが入ったりしたら、あとはどうでも良いのかもしれませんが。
 広告の審査って、新聞ではどうなっているのでしょう?

【ただいま読書中】『漂白される社会』開沼博 著、 ダイヤモンド社、2013年、1800円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478021740/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4478021740&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「社会の周縁」には何らかの偏りや猥雑さが集まっています。それを著者は「色がついている」と表現し(「色物」の「色」です)、最近の日本社会の周縁的存在からその「色」が失われつつある、つまり「漂白」されている、と感じているそうです。
 現代日本社会に生きる我々には「閉塞感」がつきまとっているそうです。著者はその「現代社会」を「アンダーグラウンド」「アウトサイダー」といった言葉でくくられる「周縁」から再定義しようと本書で試みます。なぜなら「周縁」には「現代社会が抱える矛盾と現実」が噴き出ているはずですから。
 かつての日本社会は、けっこうわかりやすい構造でした。サラリーマンは終身雇用でサラリーを稼ぎ、そこからドロップアウトした人はインフォーマルなリスクヘッジ集団(暴力団、水商売、力仕事など)を含む“社会の周縁”に流れていきます。ところが現在は「社会の中心」でも非正規雇用が幅をきかせるようになったのを見たら明らかなように「社会構造」が変容しています。そして、それに合わせるかのように「社会の周縁」でも「構造の乱れ(これまでにない生き方の発生)」が見られるようになっているのです。本書で紹介される、ホームレス少女の「移動キャバクラ」なんて、「それって、“商売”なのか?」と世間知らずの私は言いたくなります。もちろん彼女たちが勝手にやっていることなのですが、それでちゃんと生きているのですから“商売”なのでしょう。かつての「わかりやすい貧困」のかわりに「わかりにくい貧困」が“周縁”に生じています。おそらくそれは「社会の中心」がわかりにくくなったことの反映なのでしょうが。
 「シェアハウス」を初めて知ったのは、『メタボラ』(桐野夏生)だったと私は記憶しています。それまで知っていた欧米のルーム・シェアなどはどちらかというと家賃を節約するための「共同生活」というイメージでしたが、日本のシェアハウスは「安宿」のイメージでした。完全に商業目的で、部屋に二段ベッドをぎゅう詰めにした「シェア」ハウスです(部屋の写真を見ると、世間知らずの私にはなかなかの衝撃です)。そういえば昔のユースホステルで、こんな感じでぎゅう詰めのところがあったっけ、なんてことも思い出します。
 第三部は「性・ギャンブル・脱法ドラッグ」。権力が取り締まりの対象としている分野で、著者は「権力」について考えます。彼らは一体何を守ろうとしているのだろうか、と。
 第四部では、右翼と左翼の暴力が扱われます。
 第五部では「グローバル化」が登場します。たとえば、日本と途上国の「貧困」が交錯する「偽装結婚」。ちょっと一言ではまとめられない「サッカー留学生の人生」。「中国エステの従業員」。
 「漂白」という言葉に著者は独特の思いを込めています。かつてのくっきりと色分けされていた日本社会が、「あってはならないもの」を「見て見ぬふりをする」ために漂白をしている、と。しかし“それ”は、わかりにくくなり“一般人”をも取り込んで広がっていきます。それが日本社会にとって幸せな形なのかどうか、私は不安を感じます。いくら漂白しても「あってはならないもの」が消滅するわけではありませんから。


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