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2014年11月24日07:05

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読んで字の如し〈草冠ー3〉「茶」

「一茶」……唯一のお茶
「無茶苦茶」……茶が無い苦い茶しかない
「薄茶」……実はけっこう濃い
「濃茶」……もっと濃い
「茶花」……お茶の花
「茶色」……お茶の色
「茶髪」……お茶の色の髪の毛
「緑茶」……茶色が緑のお茶
「臍が茶を沸かす」……臍が熱いし仰向けになって動けない
「茶坊主」……茶葉を頭からかぶった坊主
「茶碗」……昔はこれでお茶を飲んでいたらしい
「茶飲み茶碗」」……お茶専用の茶碗

【ただいま読書中】『下町ボブスレー ──僕らのソリが五輪に挑む』奥山睦 著、 日刊工業新聞社、2013年、1400円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4526071803/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4526071803&link_code=as3&tag=m0kada-22
 東京都大田区は町工場が集まっていることで知られています。2011年、そこに区の職員が「2人乗りボブスレーのソリ製作」の話を持ち込みます。日本チームはヨーロッパの中古のソリを改造して使っていましたが、ソチオリンピックで国産の新品を使わせたい、と。熱意を持った個人の動きが、アスリート支援会社や大田区の町工場の人たち、また、かつて長野五輪でボブスレー国産を夢見て果たせなかった童夢などとつながることで、「夢想」から「現実」へと変化していきます。
 ちなみに、ボブスレーの新車を買うと約600万円、遠征での輸送費は80万円。ところが当時のボブスレーの強化費は、年間120万円。これでどうやって世界と戦え、と?
 ソリの構造は比較的単純です。サイズや重さなどの規格は厳しく決まっていてソリの性能差が極端に出にくいようになっています。逆に見れば、細かい部分の差の集積によってタイム差が出るということですから、欧米の蓄積されたノウハウが効いてくるはず。その差をどうやって埋めるか、が新参者の日本の課題となります。まずはヨーロッパのソリを真似ることから始めましょう。
 2012年1月「下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会」が発足します。ボブスレーは複合材料によって強度と軽量化を両立させますが、この推進委員会は様々な分野の才能が複合的に結集しています。たとえばランナー(ソリの氷に接する滑走部)の摩擦をいかに減らすかには、東京大学の表面科学の教授の助けを借ります。ちなみに、バンクーバーオリンピックでは、イタリアチームはフェラーリと、ドイツチームはBMWと協力しています。ボブスレーが「氷上のF1」と呼ばれるのは伊達ではありません。
 ソリの空力については、風洞実験とコンピューターシミュレーションを組み合わせます。その結果、4つの形状が候補として残りました。その過程で「共通言語」の必要性も浮上します。異分野の人びとの集合体ですから、同じものや行為を違う名前で呼んでしまうのです。皆、走りながら考え、走りながらコミュニケートしています。東大阪の「まいど1号(人工衛星)」、墨田区の「江戸っ子1号(海底探査機)」に負けないものを作ろう、と町工場の人が説明会に集まりますが、そこで責任者の細貝は90種類の設計図を机に積み「自分の所で加工できそうな図面を持っていってください。納期は10日。製作費はタダ(材料費程度は請求してくれ)」と宣言します。「タダ」には訳があります。予算が無いことが一つ。もう一つは「値段をつけると、それに見合った品質のものしかできない」。可能な限りでの最高品質を求めるための「プライスレス」でした。結局30社が図面を持ち帰ります。そして、自分たちの本来の仕事の合間に時間を捻出して、自社だけで、あるいは「仲間回し」(多社が協力し合っての作業)で、10日で150点の部品がすべて集まります。
 組み立てられた「国産ボブスレー」は、長野のコースを試走しました。試走二日目で、なんと前年の日本選手権のタイムを上回る好記録。しかし課題も数多く指摘され、チームの面々は時間に追われながら改造に取りかかります。
 2012年12月、国産ボブスレーは実戦にデビューします。全日本選手権です。女子2人乗りに参加して、なんと、優勝。ここで話は終わりません。こんどは男子でのテストが始まります。目標はオリンピック参加なのです。ボブスレーの日本連盟も「下町ボブスレー」を採用することにします。13年2月の「男子2号機説明会」には、100社が集まりました。ほぼ同時に1号機はアメリカカップ(ワールドカップの下部大会)に参加します。「良いソリ」を作るだけではオリンピックには出られません。選手を育成し、さらに国際連盟のレースに参加してポイントを一定以上稼がなければならないのです。
 いろいろあって結局日本連盟は下町ボブスレーを採用しませんでした。しかし、すべてが水泡に帰したわけではありません。難しい仕事へのチャレンジ、自分の作ったものがどこでどう使われるのかがわかること、メディアにも取り上げられる製品に関与できる喜びなどで職人たちも嬉しそうに仕事をしていたそうです。「無償の仕事」を皆でやることで、工場・会社・地域のイノベーションが第一歩を踏み出したようです。そして、いつか、オリンピックの会場を国産の下町ボブスレーが滑走する日がやってくることでしょう。


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