mixiユーザー(id:2716109)

2009年06月21日07:27

10 view

本棚40『新・平家物語(一)』吉川英治(吉川英治歴史時代文庫)

 人間の欲望が渦巻き、権謀術数が繰り広げられていた12世紀初頭―。本書の第1巻では、血気盛んな若者平清盛を中心に、朝廷や源氏の人々、西行など同時代を生きた人々が躍動する。親族同士の相克などが多く描かれているが、全体として清々しい印象を受けるのは、筆者の簡潔かつ流麗な、生命力溢れる文体のためであろう。

 たとえば、自らの出自や母が家を捨てたことに悩みもだえる平清盛。母を懐かしむ弟経盛を置いて、秋の夜の街に彷徨い出る。
 「清盛は、築土をとび越えて、外へ降りた。―なお、百歩ほどは、経盛の泣き顔が、目先にあったが、すぐ忘れて、銀河の夜風に、二十歳の体温を吹かせて歩いた。」

 たとえば、政争に巻き込まれ窮屈な日々を送る幼帝、近衛天皇。
 「天皇御自身にしても、童心の本然な欲求からいえば、冬の日は雪と戯れ、春なれば花に口笛を吹き、夏は、太陽の子、水の子となって河童をまね、秋は高き山にも登って、声いっぱい、生命を呼吸させてみたい疼きをお持ちになっているに違いない。」

 そして、喜怒哀楽を隠さず伸びやかに生きた、平安朝時代のすべての人々について。
 「それ以前の、本来の国民性は、歌うにも率直、踊るにも率直。よろこぶや、大いによろこび、悲しむや、涙を流して泣き、そう人前を、気にしなかった。五情六欲の凡愚を、おたがい認めあって、生きていたのであった。」

 脇役の挿話も丁寧に描きこまれ、厚みがある。
 横恋慕した袈裟という女性を誤って殺してしまい、野から野へ逃亡を繰り返す遠藤盛遠。行き着いた山は、濡れ紅葉に満ちている。時は、「妖しい夢の疲れと、慟哭に明けた」未明のころ。彼は死を決していた。
 「―いつか、かれの真正面に、まっ紅な太陽が、さし昇っていた。洛中の屋根も、東山連峰も、塔の尖も、なべて一面の雲の海であり、見たものは、巨大な光焔の車だけであった。(中略)生々久遠の美と光をもつ日輪のまえに、悩むこと、惑うこと、苦しむこと、何一つ、価値があると思えるものはない。―笑いたくさえなる。
 だが、人間はある。果てなく生まれ次いでゆく。宇宙観の冷厳だけで、それをいいきってしまっては、人間とは、余りにも微小であわれ過ぎる。せめて、人間の中の範囲で、価値を見つけて生きあうのが、はかない者同士の、世の中というものではあるまいか。―と、思い出したかれは、何か、地上の価値を見つける者のひとりになろうと思った。生きる愚よりは、死ぬのは、なお大きな愚だと思った。」

 「諸行無常」といった無常観が強調されがちな平家物語だが、吉川の『新・平家物語』からは、限られた生を精いっぱい駆け抜けた人々の力強さが伝わってくる。戦後間もない1950年から7年の歳月をかけて書かれた本書は全16巻。筆者の温かな人間観・遥かな世界観をこれからゆっくりと味わっていきたい。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2009年06月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930