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2026年10月24日05:57

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藩と武士の大義を守るために西軍(新政府軍)と戦って戦死・戦傷した二本松少年隊の子どもたちの悲劇

 会津藩などの奥羽越列藩同盟軍と薩長土主体の西軍(新政府軍)との間に戦われた戊辰戦争(明治元年/慶応4年=1868年)では、白虎隊の集団自決、西郷頼母の妻や子どもたちを含む一族女たち21人の自決、中野竹子率いる会津娘子軍の奮戦と戦死など数多くの悲話、哀話が伝えられているが、二本松少年隊の悲話はあまり知られていない。

◎わずか12歳〜17歳の子どもたちは銃をとって戦場に出た
 二本松少年隊とは、現福島県の二本松藩において、戊辰戦争(二本松の戦い)に出陣した数え12歳〜17歳の藩士子弟から成る少年部隊だ。ただし、会津藩の白虎隊と異なり当時は隊名がなく、1917年(戊辰戦没者五十回忌)に刊行された後述する『二本松戊辰少年隊記』を契機に「二本松少年隊」と呼称されるようになった(写真=二本松城のそばに建てられた少年隊の像)。
 このような少年たちがなぜ西軍との戦いに出陣し、約半数の死傷者を出したのだろうか。
 慶応4年(1868年)5月、白河城を落とした西軍は、その後も北上し、列藩同盟の三春藩を寝返りさせて三春城開城、守山藩も開城、二本松城に迫った。
 兵、武器共に西軍に圧倒的に劣る二本松藩軍は、7月27日〜29日の戦いでついに城も落城して敗退した。この時、兵力が不足する二本松藩は27日までに、戦時に備えて銃の訓練を重ねていた少年隊を編成、29日、木村銃太郎(砲術師範で当時22歳=肖像画)の率いた二本松少年隊25人は大壇口の戦場に投入された(写真=大壇口古戦場)。

◎母親の出陣を振り切って出陣した病弱の身の兄
 二本松少年隊は、前記のようにまだわずか数え12歳〜17歳までの藩士の少年たちで編成されていた。持たされていた銃は、旧式の銃で、最新式の装備を持つ西軍に銃撃されて半数近くが幼い命を散らした。
 今と時代背景がまるで違うから、何も子どもたちまで、と僕たちは思うのだが、少年たちは藩と武士の大義を守るために、母親から戦服を仕立てもらって戦場に出た。隊士の15歳の久保鉄次郎は、12歳の弟、豊三郎が出陣したのを目にして、病弱の身を気遣う母親の制止を振り切り、弟の後に続いたという。
 2人とも銃撃で傷つき、野戦病院となっていた寺に収容されるが、約2カ月後に弟の豊三郎が、次いでその5日後に兄の鉄次郎が亡くなった。

◎顕彰もされず長く放置された少年隊の正式記録
 大壇口の戦いで戦った少年隊25人は比較的有名だが、この他にも30人以上が戦場に出たようだ。西軍に刃向かった二本松藩は朝敵、賊軍だから、もう少し後に大量戦死する会津藩兵同様、少年隊が何人いたのか、戦死者はどれくらいだったのかの記録は残されなかった。墓すら建てることを許されなかった。
 それがようやく明らかにされたのは、1917年(大正6年)9月15日、生き残った旧二本松藩士により戊辰戦争戦没者の50回忌法要が大隣寺で行われ(写真=寺の境内に建てられた慰霊碑と供養塔)、この時、二本松町の助役で、大壇口の戦いに14歳で出陣した水野好之(当時の名前は進)が謄写版印刷した小冊子を作成し、参列者に配布した。
 表題は『二本松戊辰少年隊記』として、少年たちの服装や大壇口出陣の隊員名、激戦の様子などを回想記述していた。そしてこの表題を基に、それまで特に名が冠せられていなかった子どもたちはようやく「二本松少年隊」と呼ばれるようになったのだ。これがきっかけで、少年隊に対する公の顕彰が行われることになった。

◎少年隊の生き残りの中には9年後に西南戦争に出征した者も
 また出陣した少年隊員の数も長く不明なままだったが、大壇口の戦い以外の出陣者数も含め少年隊の数が1926年に暫定的に51人とされ、名前も明らかにされた。その後も郷土史らの調査で数人ずつ追加され、最新の数字は62人とされている。
 なお9年後の明治10年(1877年)の薩摩西郷軍と新政府軍が激突した西南戦争に、二本松少年隊から出征し、戦死した人物がいた。大壇口の戦いには加わっていなかったが、元二本松少年隊士の安部井香木(あべい・かき)は、政府軍の第4小隊長(少尉)として参戦して5月31日に戦死、また当時15歳だった安部井壮蔵(あべい・そうぞう)もやはり戦死している。
 西南戦争では、「戊申の復讐」とばかり元会津藩士たちが大量に出征して奮戦したが、幹部として元会津藩士たちを指揮した佐川官兵衛などが、戦死している。
 二本松少年隊の生き残りたちも、戊申の恨みを晴らすために西南戦争に出征したのだろうか。

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昨年の今日の日記:「152万年前の手の骨の化石からパラントロプスは把握能力や器用さを持っていたことが判明、66年ぶりの『名誉回復』」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202510240000/

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