ベートーヴェンのクロイツェルは、少し前に、庄司紗矢香のコンサートで聴いた。
その日は、モーツァルトのソナタやCPEバッハの作品が、古楽奏法のヴァイオリンで演奏される響きがとにかく神秘的で、無限の広がりを感じさせたのに対し、ベートーヴェンは、いかにも近代の個人が出てきたなという感じがして、予想がつく範囲というか、仕事帰りで疲れが出て、二楽章は少し寝てしまった。もう一度聴きたいのだが。
で、コパチンスカヤでは、またかという感じと、ややキワモノ演奏かなと予想したが、全然違った。
距離が近いのもあって、克明に音の動きがわかり、音色もタッチもリズムも実に多彩で、まさに今そこで音の生命が始まっていくようだ。
ベートーヴェンの、病に向き合いひるまない意志力であるとか、革命やら英雄やらの破壊力であるとか、そういったイメージの総体と、ヨーロッパの特に独墺の雰囲気が合わさると、いかにもベートーヴェンという感じがする。
その燃えさかるたましいは、メロディにはおさまりきらずに、叩きつけたり叩き斬ったりする音のイメージとして現出する。
そういう意味で、コパチンスカヤのロックを思わせる潔い弓運びは、正統的なベートーヴェンとすら思え、ヴァイオリンという個の楽器の特性ゆえか、ステージの上に、貴族に楽器を指導する、200年ちょっと前のリアルベートーヴェンのアクの強い顔と等身大が現れたようにも思えた。
こんな経験は初めてであった。
ピリオド奏法云々は私にはわからないが、ベートーヴェンがこれだけちゃんと聴けてビックリした。コパチンスカヤはウィーンで音楽を学んだ人らしい。なるほど、日本人が勝手に合わないとか言ってはいかんな(笑)
特に7番の、ピアノ含めた推進力が斬新。
クロイツェルで、ピチカート3連弾のところがあるが、新しいおもちゃをみつけた子どものように、うれしそうな表情になる。
こういうところは、カルロスクライバーを思わせる。
私は、生育の困難のせいか本質的な陰があって、ひたむきでピュアで、この世ならぬものに飛翔しようとするが翼折れて、というようなアーティストが好きみたいだ。不器用でメディアにはあまり出ない。
それは、自身の育ちにも困難があったためだと思うが、たとえばクライバーも一部そうだし、アバドや庄司紗矢香、歌手なら尾崎豊や坂井泉水、中島みゆきなど。
コパチンスカヤは、良い意味でユニークで発達障害っぽいが、器用なエキセントリック才能系というか、とても陽気でユーモラスな人だし、私の好みとは違う。
しかし、こういう、音楽がいまそこで生まれるような魅惑は好みを超えてしまう。
オーディオ的にも衝撃的で、最高の楽器を5mで聴くと、こんなに太く豊かで、鮮やかに切れ込みながら柔らかいのかと感じた。
いまセラミックツィーターを使っていたが、根本的に音色が違い、外した。
ソフトドームのほうがまだ近いようだ。
許光俊氏が、チェリビダッケやヴァント、クライバーあたりの実演体験で、ディスクにはあの多彩で繊細な情報は入っていないと切り捨てたり、宇野功芳氏が、モノラル時代の名演から妄想を膨らませ、実演ならさぞみたいに言う。
個人的には、オーケストラ遠くで聴くぐらいなら大音量オーディオと思っているが、こんなコンサートを聴くと、彼らの言いたいことは痛いほどわかる。
音質も含めて、人生のクラシックコンサートのベストだった。
コパチンスカヤのブラームスどんな感じかなと思ったら、3番がディスクである。
なぜかコパチンスカヤはハイレゾになっていないものが多くて、解説読んでほしいからだろうか?
ディスクはもう買いたくないのだが、、
あと、こんなにカッコいいロックな演奏だが、ブーツはいた若者みたいなのは見当たらず、一部除く聴衆平均年齢は65歳ぐらい。
フェスティバルも、なぜか前の5列ぐらいガラついていた。
若者の列ができて良席取れなくなっては困るが、もったいない話だ。
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