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2024年04月12日03:31

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'60年代後半に僕が入れあげた日本映画への思いを、なんとか損なわずに見せてくれる映画でした。井上淳一監督「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(2023)。

もっと言えば、ここ2〜3年の間に見た新作日本映画(ドキュメンタリーは除く)の中では、最も好感が持てる映画でした。つまり「キネマ旬報」誌がベストワンにした「ドライブ・マイ・カー」とか「ケイコ、目を澄ませて」より、圧倒的に支持できる映画だということ。嘘だと思うなら、見てごらん(byピタゴラスイッチ)。

いや、冗談や酔狂で言っているのではありません。画面から受ける感覚に“おっ!”と心を動かされるシーンがいくつもあったわけで、そんな感覚を日本映画(ドキュメンタリーを除く)から受けたのは、ずいぶん久しぶりのような気がするのです。←数えるほどしか新作の日本映画を見ていないけどね。

たとえば、シネマ・スコーレというミニ・シアターを立ち上げると決断して、画面に向かって歩いてくる人物を捉えるシーン。かつての東映映画を思い起こさせるような望遠による撮影で、東映映画のようなエレキ・ギターのフレーズかぶさり、トランペットが“よれるように”加わる。このペットの“よれ”がなんとも懐かしい。

そんな郷愁だけがポイントなのではなく、木全純治(東出昌大)が妻に“映画館の支配人になりたい”と打ち明けるシーンで、妻が“私がダメと言ったら止めるの?”とソフトに対応するあたりで僕はこの映画に“乗り込んで”しまいました。この内助の功に対して“電柱に貼り付けたチラシ”に気づかない木全のダメさを非難しないのもいい。

そして映画監督を目指す井上淳一(杉田雷麟)に、若松孝二(井浦新)が“映画は、こうなんだよ”と両手を突き出してフレームからの視点を教えるシーンで、“これを忘れてガタガタとカメラを動かしやがって”と“最近の映画”を非難するのですが、それまでにこの「青春ジャック」そのものが、ガタガタとカメラを動かしているのでした。自画自批判や(笑)。

そして“大林みたいな分かりやすい映画が好きなんか”と若松が言う、分かりやすい構成も僕にはツボでした。だって僕は大林の「いつか見たドラキュラ」とか「コンプレックス」が大好きなんですから。もっとも僕が“分かりやすい”とする映画は、松竹のY監督作品であり、それは映画観客をバカにしていると感じさせる“分かりやすさ”なのですけど。

何よりも、この映画に描かれた若松孝二には、「連合赤軍 浅間山荘への道程」を作ったときにもらしていたという、若松プロでアルバイトしていた女子学生が“巻き込まれてリンチ殺人の犠牲となった”という程度の過激派への反感がないし、「夜明けまでバス停で」のような安易な“過激派精神の引用”もないところがいい。

井上淳一監督が、自らの青年時代を描いている部分が正確なのかどうかは僕にとって問題ではなく、ああやって東京に飛び出す気持ちは納得できる(僕も登日ちゃんからの電話を真に受けてベルウッドに参加したわけです)。もっと言えば、我が友升田光信君の友人で、単身上京した後夢叶わず自殺した人がいたな、と気がかりなのです。

少なくとも僕はこの映画から、“理屈は映画に映らない”という金言を得て、これからも映画を見続けていこうと自分を納得させました。何しろ最近、映画から肉感的な印象ばかり受けて、“映画はナマモノ”だという印象を濃くしているもので。←川本三郎さんと松田政男さんの批評集「映画はアクチュアル(=映画はナマモノ)」も読んだし(笑)。

そして僕は、在日の人たちが16歳になると指紋押捺をする義務があるという事実を見せられ、大学時代の友人の知り合いが“自分は韓国人だと日本語でしか理解できない人間なんだ”と悩んでいた話を思い出しました。まだまだ'60年代後半の面影は、我々が生きている限り“つきまとう”のです。上等じゃないか。こそこそ生き延びてやらあ。
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