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2020年01月30日10:22

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無知の力

 時々テレビの国会中継を見ている。ここでは日本全国から選び抜かれた選良が議論を闘わせている。一人一人が何十万もの人々を代表している選りすぐりの人たちだから、さぞや高度な見識が交わされているに違いない、と本来はそのように想像されても不思議ではない。が、ところがである、信じられないほど低レベルな舌戦が繰り広げられている。本当に出来の悪い笑い話レベルなのだ。

 ( 以下、朝日新聞デジタルより引用 )
【 首相の地元事務所名で、同会を含む観光ツアーへの参加を募る文書が地元有権者に送られていた問題で、共産党の宮本徹議員が文書を示しながら「この文書は見たことがなくても、募集していることはいつから知っていたのか」と追及した。すると、首相は「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と述べた。 】

 「募ったが募集していない」 一体どういう意味だろう‥‥。こんな言い方を許せば、言葉はほとんど意味をもたない。「もらったが受領していない」、「男だが男性ではない」、「歩いたが歩行はしていない」と言っているのと同じである。あまりと言えばあまりなのだが、国会の中では事程左様に言葉が軽いのである。これはたまたまその極端な例に過ぎない。政府や役人の答弁はほとんど聞かれたことには正面から答えないで、用意された当たり障りのない文章をオウムのように繰り返す。話がかみ合っていようがいまいがお構いなしである。
 首相主催の「桜を見る会」の招待者名簿の廃棄について、電子データを廃棄した時期が分かるログの開示を求められると、セキュリティー上の問題から開示できないという。 なぜ、Why? 「悪意ある第三者等による、不正侵入や不正操作等を検知するための重要な材料になる。」からだと言う。おそらく、言っている本人も自分が何を言っているのか分かっていないのは間違いない。

 国会ではどんな屁理屈であろうが、強引に言ってしまったもの勝ちなのだ。その最終形が「募ったが募集していない」である。安倍総理は昔から勉強はあまり得意ではなかったみたいだが、議論には強いということには自信を持っていたそうである。自分でも「議論に負けた事はない。」と豪語していたそうだ。なるほど、どんなに論理破たんしていても自分ではそれが分からないのだから負けるはずがない。無知であるが故の強みとでも言えばよいのだろうか。残念ながら、いまの日本の国会ではその無知の力が通用するのである。ソクラテスは「無知の知」ということを言ったが、わが国では、「無知の無恥」が横行している。
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