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2021年04月25日10:37

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映画史上、まぎれもなく画期的な作品の一つをじっくり味わう。ジャン・リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」(1960)。

まず映画の制作年度について確認しておきます。imdbによるとフランスのパリで1960年3月に最初に公開され、その年の5月にカンヌ映画祭で上映されたようです。にもかかわらず制作年度を1959年と記載している文献があるのは、1959年に撮影完了していたからだと考えます。ということで制作年度をクランクアップした時点で考えると1959年作品ですが、映画興行界の常識から初公開日に合わせると1960年となります。

原題が「À bout de souffle」で、英語圏では「Breathless」ですから、よく日本では“息切れ”と言われています。言葉としては“息絶えた”という感じだと、映画を見れば納得します。

主演のジャン・ポール・ベルモンドは、こんな映画は興行的に受け入れられるはずがないと考え、オクラになるのでは心配していたそうですが、完成後に試写を見た人々の好意的な印象に驚いたとか。

そして以前にも書きましたが、ファースト・カットが3時間になってしまって困ったゴダールが、ジャン・ピエール・メルヴィル(この映画にインタビューされる監督役で出演)に相談したとメルヴィルの自伝などにありました。そこでメルヴィルは“私の出演場面は要らないからカットすれば?”と返事したそうですが、ゴダールは全シークェンスを半分にカットしたらしい。

そこで生まれたのがジャンプ・カットですね。車に乗り込んだジーン・セバーグと運転しているベルモンドとの会話シーンを、カメラ2台でそれぞれを写しているからカットが変わるのは当然です。しかし、この映画では、1台のカメラが写しているセバーグのカットがぽんぽんと飛ぶ。これがジャンプ・カットです。それまでは不自然とされ、NGだとされてきました。

しかしゴダールは、セリフ部分を切ってつなぎ、セリフとしては意味が通るようにしている。もちろん全編でそのテクを使用するから、メルヴィルへのインタビューシーンでは、セバーグの質問に対しメルヴィルが答えないまま次の質問に移ったりします。それでも、それらの不自然さが“不自然”という違和感ではなく、むしろ物語を手早く語る“新しい語り口”として機能したのでした。←今でも不自然だと感じて拒否反応する人はいるかも。

僕は初めて見たのが英語字幕版(大阪万博のフランス館)だったもので、字幕を追ったり画面を見たりと忙しかったので、そのときは気になりませんでした。今回見直したら、カット内でぽんぽん飛ぶあたりに笑ってしまいました。字幕制作の常識では、ワンカットに1つの字幕という“美学”があるもので(笑)。

そんなことから僕は思うわけです。邦題の「勝手にしやがれ」は、“こんな映画作りやがって、どう売れってんだ”という、配給会社担当の忌憚ない意見だと。たとえば追跡してきた警官をベルモンドが射殺するシーンなんか、いわばアクションの見せ場です。それをジャンプ・カットで処理するあたり、じつに勝手気ままな編集でした。

ということで、オールシネマ・オンラインに記載されているように、“まさに商業的娯楽映画という概念をひっ繰り返し、これまでの映画文法や常識といったものまでもことごとくブチ壊した、映画史の分岐点とも言える記念碑的作品”という、後付賛辞をもっともらしく語る“追随者”のなんと多いことよ。これはゴダールの諸作品を積み上げてから達する言葉であって、少しでもフランス映画をかじった映画ファンなら口にしません。フランス映画をなめた程度の人間が口にする言葉なのです。

それとこの「勝手にしやがれ」には、結構音楽が多用されています。これについてはゴダール自身が語っていますが、ジョン・カサベテスの「アメリカの影」を見てジャズの使用法に度肝を抜かれたことによっています。カサベテスに言わせると“同録でセリフを録れなかった遠景シーンにはジャズを流しただけ”なのですが、ゴダールにはそれが天啓に思えたのでしょう。

そしてまたゴダールは、この映画を作るに当たって中平康の「狂った果実」を何度も見直したそうです。だから“これまでの映画文法や常識といったものまでもことごとくブチ壊した”とするならば、ぶち壊したのはカサベテスであり中平康なのだと言えます。

むしろゴダールは、きちんと主人公の男女に寄り添い、その心中をつぶさに描いています。その手法は別に新形式ではなく古典的でさえある。ただジャンプ・カットの目新しさに驚いて、この映画のテクニックだけを口にするのは、はなはだ映画の本質を見誤っているというほかありません。たとえば「中国女」で毛語録やアジテーションのセリフにばかりこだわり、「男性・女性」のようなほんわかした青春部分を見落とすなんて、やはり軽率なのです(経験者は語る)。

そんなゴダールの出発点を再確認できたので、僕も少しは“女を口説くにはゴダールを語れ”を実践できるかも。5月5日に武蔵小山のアゲインで池島ゆたか監督のトークショー「18禁 映画塾」を行いますから、ぜひご参加ください。

なお緊急事態宣言下でありますので、必ずマスク着用のうえ、入場前には手のアルコール消毒にご協力ください。時短要請により20時には終了いたします。

参考までに下記リンクを御覧ください。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978761966&owner_id=6327611
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