mixiユーザー(id:64140848)

2019年09月13日11:54

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匿名でものを書くということ

 mixのコメントを読んで感じるのは、どのコメントにも幾分万能感と言うべきものを伴っていることだ。実社会で自分が主人公になることはあまりないかも知れないが、SNS上で発言する場合は常に自分が主人公のような錯覚に陥る。しかも匿名であるので、誰に忖度する必要もなく言いたいことを言ってのける。

 SNS上で傍若無人な振る舞いをしている人も、おそらく会社や近所の人と話する場合は、それなりの緊張感をもって、いろんな配慮をしながら言葉を選んでいるはずである。ところが、一旦匿名性の世界に入ると一挙にタガが外れるのはある程度仕方がないのかもしれない。

 かくいう私も例外ではない。私は約10年前からブログを始めたのだが、はじめの方の文章を読み返すと、「随分適当なこと言っているなぁ」と穴があったら入りたい気持ちにかられる。時には、哲学上の見解の違いから他の人のブログに強硬にケチをつけて、その人にブログを止めさせてしまったこともある。今思えば、その人よりも自分の方が無知であったことに気がついた。できればその人に土下座して謝りたいほどである。

 mixiにおいて哲学関係のコミュニティというのはやはり難しいような気がする。哲学を分かる理解力というのは人によってさまざまなのだが、「自分が理解できる範囲までしか理解しようとしない」人がほとんどだからである。哲学をするということは自分の理解の限度を超えるということが一番大事なのだが、その「限度を超える」ということを自覚的に経験した人でないと、自分の理解できる範囲外の議論になると「他の奴は分かっていない。なぜおれの言うことが分からないんだ。」となりがちである。だから、対立の様相はみな一様で、自分の言うことを相手に理解させようとする熱意はあっても、相手の言うことを理解しようという意志はみじんもないので、結局議論は平行線のままである。しかも、どのコミュニティにも一定の病んだ人々がいて、そういう人に限ってアクティブなので健全な議論というものは期待できないということになる。

 議論がダメだとなると、日記で一人語りするくらいのことしかできない。mixiはそういうところなのだろう。
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