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2018年12月31日07:05

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海外旅行

 私が「海外旅行」で思い出すのは「JALパック」「ノーキョーツアー」、バックパック、それとバブル期の買いあさり(中国人観光客が最近やっている爆買いツアーの“御先祖様"と言えるかな?)。もうちょっと精神的に“豊かな旅"を楽しむ人が増えて過半数になったときに「日本は豊かになった」と言えるのでしょうが、それはいつの日でしょう?

【ただいま読書中】『海外観光旅行の誕生』有山輝雄 著、 吉川弘文館、2002年、1700円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4642055347/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4642055347&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=cec97815c72c60678fa16c5c30ea05da
 明治39年(1906)朝日新聞社は「汽船を丸ごと借り切って満州・韓国を巡遊観光する旅行団」の募集をします。「海外の観光」がまだ「外国人が日本に観光にやって来る」を意味していた明治時代、「30日の旅程」「費用は最高60円、最低15円(巡査の初任給が月俸12円の時代です)」であったのに、5日間で374人の枠は埋まってしまいました。「ガイド付き団体ツアー」の嚆矢と言える「海外観光旅行」でした。
 日本ではお伊勢参り・大山参りに「御師」という“ガイド"がつくし「講」という“団体"で行動する、という“先例"があったので日本人には馴染みがあったのかもしれません。イギリスではトマス・クックという人が、1841年に禁酒運動のパレードのために鉄道旅行遠足を企画して成功、「団体旅行の企画と斡旋」を本格化させ、51年ロンドン万国博覧会の見物旅行で、600万人の入場者数の内トマス・クックが扱ったのは16万5000人と大成功をしました。トマス・クックはついで海外旅行も扱うようになり、1872年には世界一周旅行を実現させています(ジュール・ヴェルヌの『80日間世界一周』出版はその翌年です。まだ「世界一周」は「冒険」の範疇にあった時代です)。
 海外観光旅行客はまず頭の中に「観光地のイメージ」を持ちます。そしてその旅行は「頭の中のイメージ」と「実際の観光地での体験」とを一致させることが目的となります。つまり客にとって旅行は「疑似イベント」です。ちょっとしたハプニングは許容されますが、本当に予想外のことは「トラブル」として拒絶の対象です。
 面白いのは、日本で最初の海外団体旅行を企画した朝日新聞社が報道に値する「イベント」を必要とする企業だったことです。
 この「イベント」と「疑似イベント」の並立が実に興味深い。(そういえば筒井康隆がこのへんをテーマに何か書いていたような記憶があるようなないような……)
 さらに著者は「人の意識」と「まなざし」に注目しています。
 たとえば最初の満州韓国旅行は「野蛮の見物」でした。「日清・日露戦争に勝利した文明国として日本人」という意識の「観光客」は満州・韓国に「野蛮」を探していて「相手からのまなざし」は無視していました。ところが明治41年(1908)に朝日新聞が企画・募集した世界一周旅行(90日間、2100円)では、日本人客は「文明国の一員としての自負」はやはり持っていましたが、米欧では「相手からのまなざし」を過剰なくらい意識しています(だからフロックコートなどの正装を準備していました)。
 この「見つめるまなざし」と「見つめられるまなざし」の交叉があるかないか、が国と国の関係を如実に現しているようです。ところで、最近の爆買いツアー、中国人と日本人の「まなざし」は、交叉していたのでしょうか?


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