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2018年11月09日07:45

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パスタ

 まだ「日本語」に「パスタ」が定着していなかった昭和の時代。小学校の給食でマカロニが出たら「物知り」が「この穴はどうしてできたか知ってるか? 中身が抜かれてそっちはスパゲッティーになってるんだぜ」と言いました。クラスはどよめきました。
 ところで、どうやって抜いていたんでしょうねえ?

【ただいま読書中】『パスタの歴史』シルヴァーノ・セルヴェンティ、フランソワーズ・サバン 著、 清水由貴子 訳、 原書房、2012年、3800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4562047534/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4562047534&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=ad1195be1b96eadb9a730590f08bc0c1
 まず「はじめに小麦ありき」。聖書ですか?と私は笑いますが、たしかに小麦がなければパスタの歴史は始まりません。
 古代小麦は何層もの皮殻に覆われていて、古代人は小麦の穂先を焼いてそのまま粒を食べていました。しかしヨーロッパの出土品からは少なくとも紀元前3000〜4000年には小麦を荒く挽いて水で練って焼いたパンのようなものを人類は食べるようになっています。また同じ時期にお粥も食べられていました。ただ「パスタ」はなかなか登場しません。
 古代中国でも早くから小麦を食べていました。ただし小麦は「外来植物」で、なかなか中国に定着しませんでした。それでも紀元前5〜前4世紀に大量に製粉できる回転式粉ひき機が登場すると、小麦は普及し、紀元前3世紀には「牢丸(ラオワン)」という詰め物パスタが文献に登場します。
 ところで「パスタ」の定義は? 法的なものはありますが、本書では「硬質または軟質小麦の粉を水またはその他の液状物質を混ぜたものに一定の(混ぜる、捏ねる、切り分ける、成型する、乾燥させて保存する、などの)作業を加えたもの」と定義されています。パンは遺跡から発掘されますが、パスタは出てきません。そこで「マルコ・ポーロが中国から『パスタ』をイタリアに伝えた」という根拠のない話が登場しましたが、これは嘘です。マルコ・ポーロがイタリアに帰ってくるよりずっと前から少なくともサルデーニャ地方で「オブラ・デ・パスタ」と呼ばれる食用パスタが地中海沿岸で広く取り引きされていました。そう言えば『東方見聞録』に「中国からパスタを持って帰った」なんて話もありませんでしたっけ。
 パンは粉を水などで練ってから焼いたものです。粥は粒を茹でたもの。では、パスタは? もしかして、パン種を間違えて熱湯に落としてしまったのが起源か、なんてことを私は想像してます。そそっかしい人や冒険者はどの時代のどこにでもいるでしょうから。そういえばベーグルはパン生地を発酵させてから一度茹でて焼きますが、パスタは発酵させないパンの生地を……と歴史には何人も「落っことした人」がいたのだ、と私の妄想は止まりません。
 「ラザーニャ」という名称が歴史に登場したのは14世紀初めの『料理の書』ですが、その内容は「茹でてからチーズで味付けするパスタ」だったり「窯で焼くタルト生地」だったりします。ただ「指三本分の幅(4〜5cm)の四角形」であることは共通で、「食物」ではなくて「形」の名称だったのかもしれません。ともかく「平打ちのパスタ」から、のちにトルテッリ、ラヴィオリ、クロセーティ(14世紀初めの、生地を小さく切り分けて親指の大きさくらいに薄くのばし中央を窪ませたパスタ)など様々なバリエーションが生まれます。マッケローニは平打ちの生地を小指の幅に切ったもので、日本のきしめんみたいなものかな。(ちなみに古代ローマ帝国では、糸状やリボン状の「イトゥリウム」というパスタが食べられていたようです)
 15世紀頃から料理書に「ヴェルミチェッリ(糸状のパスタ)」が登場するようになりますが、これは新規登場だったのか、自家消費されていたのが公式に認識されるようになったのかはわかりません。さらにヴェルミチェッリは「生パスタ」と「乾燥パスタ」に分かれていきます。
 16世紀に「パスタ」という言葉が使われるようになります。料理人は「パスタ」を「料理そのものの名称」や「料理に使う食品」としていましたが、最初にこの言葉に強く注目したのは医師で、「ダイエット食品」として「パスタ」を「食品の一分野」に位置づけました。
 普及して人気が集まれば、大量生産の時代が始まります。地中海貿易でも手広く扱われますが、そこでは保存の利く乾燥パスタが重視されていました。パスタ職人の数が増えると組合も増え、製造用の機械も発明されます。捏ね機は中世のパン職人が使っていたのが流用できましたがどんどん改良され、革命的な押出機(ワインの圧搾機の原理を利用したもの)は16世紀に登場します。ナポリでは押出機を所有することがヴェルミチェッリ職人組合への加入条件でした。
 職人の力が増すことが、男女不平等に手を貸した可能性を著者は指摘しています。中世には女性はパスタづくりに普通に取り組んでいました。しかし機械を使っての大量生産が始まると、女性は補助作業だけをあてがわれるようになったのです。
 乾燥法は、イタリア南部は天日、北部(やフランス)は室内で加熱、が主に用いられました。現代のような歯ごたえは望めず、逆に「スープの中でとろけかけたくらいのパスタが美味」と言われる時代もあったそうです。
 19世紀にイタリアのパスタは「黄金期」を迎えますが、後発のフランスが工場生産に早くから取り組んだのに対してイタリアは取り組みが遅れます。ただ「イタリアの高品質のパスタ」はフランスでも人気でした。やがてイタリアにも工業化の波が押し寄せ、職人は企業家に「ヒエラルキーの頂点」を明け渡し、「天日」という利点を失ったイタリア南部は北部と同等の立場になってしまいます。本書には19〜20世紀の様々な機械の図がありますが、工場の中でこれらの機械が朝から晩まで動いているところを見たい気もします。
 スペインではかつてはパスタはたくさん生産されていましたが、やがてパスタ産業は廃れました。しかし第二次世界大戦でヨーロッパ各国の工場が大被害を受けたのにスペインは中立政策のおかげでパスタ生産量がぐんと伸びています。ロシア・ルーマニア・ハンガリーなど、私にとっては“意外な名前"もパスタの生産地として名前が挙がっています。19世紀後半にイタリア人がアルゼンチンに大量移民をし、それに伴ってパスタ産業が発達し、南米全体にその動きが広がっています。フランスやアメリカではパスタは一大産業です。さらに本書では「中国」を忘れてはいません。「中国のパスタ」もまた豊かなのです。
 パスタは「金持ちの食事」であると同時に「貧乏人の食事」でもあります。そのメニューの豊富さは目がくらくらするくらい。パスタのレシピ集を編んだら百科事典並みの冊数が必要になるかもしれません。しかし、本書の最後が「即席麺」だとは、意外でした。これが「パスタの未来像」?


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