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2018年08月28日06:55

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ほぼ確定した未来

 子供には過去はないが未来があり、老人には未来はないが過去はある、と言うことはできますが、本当でしょうか? 「子供の未来」は確率的に老人の未来よりたくさんありますが、内容はまだ確定していません。老人にも未来はありますが、それはすでにほぼ確定しています(病気の確率が高まること、年金は減るだろうこと、そして具体的な「死」)。
 その「確定した未来」から目を背けるために老人は過去に注目するのかもしれません。

【ただいま読書中】『中尊寺と平泉をめぐる』菅野成寛 編、小学館、2018年、1300円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4096822442/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4096822442&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=0133fc32ca208aee1a46aa3c568fd384
 奥州藤原氏は、「京(みやこ)の真似」ではなくて、平安仏教文化を独自のビジョンで取り込み、地方社会で初の仏教都市を現出させました。その「平泉文化」について紹介する“ガイドブック"です。
 中尊寺金色堂は天治元年(1124)に上棟された三間四方の阿弥陀堂ですが、内外の壁すべてに金箔が押されて極楽浄土の再現を試みています(これは日本では唯一の建築遺構です)。
 「蝦夷」討伐によって東北は中央政府の支配地となり、平泉に赴任した藤原清衡は天台宗をベースとして中尊寺を建立します。その建物群で現存するのは金色堂だけです。ちなみに江戸時代にここを訪れた松尾芭蕉は「五月雨の振りのこしてや光堂」という句を残しています。(「夏草や兵どもが夢の跡」の方が有名かもしれませんが)
 三代目藤原秀衡は、無量光院とその借景としての金鶏山とが一体となって現世と来世を表現するようにしました。自然景観と宗教空間の融合は史上初のユニークな試みだそうです。私のような不調法な人間が写真を見ても「なんだかすっきりきれいだなあ」と感じるので、本物を見たらどう感じるのかな、すっかり“ガイドブック"に乗せられてしまったような気がします。



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