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2018年08月07日07:30

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鉄道を取られた町

 私の父の実家があるA町の隣町(F町)には鉄道が通っています。けっこう大きな川がその間にあるからわざわざ鉄橋を架けてこちらに通すよりはそのまま川の左岸を南から北へ通っていった、という感じです。ところで隣町のさらに向こうの町(と村)(まとめてS町とします)では「明治時代に鉄道をF町に取られたので、こちらは寂れることになった」と恨み節が昭和の時代にまで語り継がれていました。だけどねえ、S町は山の中で、そこに向かうには車でもアクセルベタ踏みじゃないと登れない坂があるのです。明治時代の汽車ではそこは登れなかったでしょうし、さらにS町に線路を通してもその先には特に大きな人口集積地はないのです。ということで「取られた」のではなくて「最初からF町を通るのが最善のルートだった」のではないでしょうか。ちなみにA町の住民は別に「鉄道を取られた」なんてことは言っていません。

【ただいま読書中】『鉄道忌避伝説の謎 ──汽車が来た町、来なかった町』青木英一 著、 吉川弘文館、2006年(07年2刷)、1700円(税別)
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 鉄道普及期の日本で「騒音で家畜が恐れる」「煤煙で稲が実らなくなる」などと鉄道や駅を忌避したために後の時流に乗り遅れて栄えていた町が衰退してしまった、という「鉄道忌避」のお話があちこちで聞かれました。ところが著者(ら)が調べると、その話にはほとんど根拠がありません。むしろ、地形などで線路が近くを通らなかったところが“後付け"で「なぜ我が町に鉄道がないか」の理由をでっち上げた疑いが濃いのです。もちろん「新奇なものに対する拒絶感」はありますし(イギリスでも中国(清)でもありました)、宿場町などが“ライバル"を恐れて反対をした例はあります。しかし、そういった「反対」がどこまで鉄道線路を“曲げる"力を持っていたでしょうか? さらに明治期の日本では「鉄道誘致運動」が各地で盛んに行われていました(これは一次史料がしっかり残っています)。だから「鉄道忌避の話」は「ただの伝説」なのではないか、と著者は考え、ではなぜそのような「伝説」が各地で生まれ語り伝えられたのか、を研究しました。その結果は論文としては結実していますが、一般には知られないままで結局「伝説」が伝聞で再生産され続けることを恐れて、本書が生まれました。ただ、いかにも「学者が書いた本」で、まだまだ文体が硬い。ここは編集者がもっと文章を軟らかくするように頑張って欲しかったな。私は論文を読むことに慣れていますから平気ですが、慣れていない人にはきついんじゃないかな。
 著者は「反対運動の実在」の証拠を探ります。ただ「反対運動の原史料が残っていない」は「存在しない」と同義ではありません。そこで「その地方特有の“理由"」があるかどうか、を傍証として著者は調べることにします。さらに鉄道には「敷設条件」があります。地形の中でも特に勾配、さらにトンネルや橋の数を減らすことは重要でした。ですから、地形上の最適なルートを線路がたどっていない場合、そこに「線路が曲がった理由(つまり反対運動)」があった、と考えることも可能となります(実際に、ある3桁の国道が新しく作られたときに、なぜか途中でぐっと曲がってある政治家が所有していた広大な土地の上を通ってから元のルートに戻った、なんて実例を私は知っています。この場合には「鉄道」ではなくて「国道」、「反対運動」ではなくて「こっちに来て自分の土地を買収しろ」運動だったのですが)。
 「駅の設置場所が当時の町の中心を外れたところである」も「忌避運動の結果」とされることがありますが、駅のためには広くて平たい土地が必要です(旅客だけではなくて貨物を扱うスペース、機関区、車両の留置線など、さらに軍都だと兵士が整列するためなどの駅前広場も必要になります)。すると条件が良くてしかも安い土地、となると平坦な畑地などが最適。町から少々離れてもそれは歩けばよいのです。
 もちろん「反対運動」が皆無だったわけはありません。新奇なものへの反発もあるでしょうが、商売敵の出現を嫌う馬車屋や水運業者とか、家の真ん前に線路を通されて田圃に行きにくくなる家の住人とか、反対しそうな人はいくらでもいます。ただそれが「線路や駅の位置を動かすくらいの力を持った運動」になるかどうか。千葉県では「発達した水運」を理由に鉄道反対の請願書を県令が出していますが、政府に却下されています。おっと、尊皇攘夷派も「西洋文明排斥」に動きそうですね。これはけっこう力を持ちそうですが、こちらは「駅の位置」ではなくて「鉄道敷設そのもの」に反対しなくちゃいけません。「文明開化」の風潮にどこまで抗することができたのかな? 秋葉原駅(寺の境内を転用した上野駅が狭いため、貨物駅として構想されました)の開業では、地元住民や東京市会も反対運動を起こしていますが、結局押し切られています。山陽鉄道が尾道の市街地を突っ切って線路を通したときにも住民の反対運動が起きました。これもまた行政に押し切られています。
 陸軍は鉄道に興味を持ちますが、「国の経済活動」「海軍との協力」「鉄道の敷設条件」をまったく無視した建設計画を立てたため、明治政府には無視されてしまいます。
 鉄道に関して明治政府はずいぶん“強面"を通している印象です。まあ、鉄道に限ったことではないでしょうし、交通行政では戦後の日本政府もずいぶん“強面"な印象ではありますが。この政府の“強面"に押し切られて悔しい思いをした人々の「思い」が“屈折"して「鉄道忌避伝説」へと昇華したのかもしれません。


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