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2018年07月17日06:47

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やり過ぎ?

 夏と言えば花火大会が定番です。昔に比べてずいぶん演出が派手になり、打ちあげ本数も増えましたが、ではこれが「オールナイトで花火大会」と言われたら、行く気になります?

【ただいま読書中】『ストリップの帝王』八木澤高明 著、 角川書店、2017年、1700円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4041051649/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4041051649&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=35912215cde6a5757ece6d3f83442469
 著者が諏訪に取材に行ったストリップ劇場の支配人瀧口は、ストリッパーを「タレント」と呼んでその個人と芸に敬意を示し、マスコミには警戒心を隠さず、夜は寝ず食事もろくに摂らない、ちょっと変わった人でした。経歴も変わっていて、銀行マンだったのをあっさり辞めてこの業界に転身しています。それも、姉の桐かおる(ストリッパーとしての芸名)から「来て帳簿をつけてくれ」の電話一本で。なおこの姉もなかなか強烈な人物だったようで、その舞台(レズビアンショー)を小沢昭一は「これは芸というより、一種の憑き物のとりついた姿」「エロを越えて恐怖すら感じた」と評しています。
 著者が訪問したとき、劇場はガラガラ。スタッフが足りず、支配人が場内アナウンスや照明もこなし、4人の踊り子が休憩時間に交代でチケット売り場に入る、という「この劇場、大丈夫なのか?」状態でした。しかし、最盛期には全国に300人の踊り子を派遣し月収が1億8千万円もあった、というので、その落差に著者は驚きますが、瀧口は飄々としています。
 ストリップは、戦後の「額縁ショウ」から始まり、やがて額縁を飛び出して舞台上で踊るようになり、さらに特出し(全裸ショー、オープンショー:女性器を見せる)からまな板ショー(踊り子と客が舞台上でセックスをする)へと過激化していました。ちなみに「花電車」というショーもありますがこれは本物の花電車と同様「(見せるけれど)客は乗せない」もので、女性器を使って様々な芸(吹矢、ラッパを吹く、など)をするものだそうです。
 ヤクザの発祥は江戸時代にまで遡れますが、明治時代には「労働者の手配」や「芸能の興行」なども手がけるようになりました。ストリップ興行も当然ヤクザと関係を無視できません、というか、芸能人とヤクザとは表裏一体の関係でした。しかし1964年に警察が行った「第一次頂上作戦」からヤクザと芸能人の関係はタブー視されるようになっていきます(公然とできなくなった分、陰湿になった、とも言えますが)。警察も終戦直後には治安維持にヤクザを利用していましたから、これは芸能人だけの問題ではないでしょう。
 瀧口はそういった世界で「銀行員上がりだから金のことはきっちりしている」「脇差しを手に殴り込んできたヤクザを返り討ちにした」という“実績"から、ストリップ業界で頭角を現します。その頃本番まな板ショーが大人気で、日本人のタレントが足りないため、フィリピンなどから「じゃぱゆきさん」が多数来日するようになっていました。1970年代後半〜80年代のころの話です。彼女たちはまず前借り金を背負わされています。さらに給料からプロモーターがごっそり天引きをしていることが赤裸々に本書には描かれます。「倫理観」が「現実」に傷つけられます。
 なお、外国人ストリッパーが最初に日本に登場したのは1960年代はじめ、アメリカ人の踊り子たちでした。それが大人気となりますが、当時は1ドル360円、経費が大変なため日本人が髪を金髪に染めて「金髪外人ショー」を行うようになりましたが、「どう見ても日本人だ」という苦情が出たため「金髪ショー」に名称変更されたそうです。
 本番ショーに慣れた客はさらに刺激を求め、小屋には個室が作られるようになりました。もう完全に売春宿です。警察は1981年に全国的に本番まな板ショーの摘発をはじめ、瀧口は全国指名手配をされます。瀧口は職業安定法違反の時効(7年)まで逃げ切る覚悟をします。逮捕・収監されたら、数百人の踊り子を全国の小屋に手配する人間がいなくなって、皆が路頭に迷うことになってしまうからです。ヤクザや業界のつてを使うと潜伏場所には不自由しません。業界が総力を挙げて匿うほど、瀧口には“価値"があったということでしょう。潜伏中の“ビッグプロジェクト"としては、愛染恭子のストリップ出演がありました。当時本番まな板の踊り子は10日興行でギャラが40万の時代に、愛染恭子の事務所の要求は430万円。どの興行師もその値段にびびったのに、瀧口はオファーを受けて劇場を満員にして利益を出しています。
 瀧口が変わっているのは、仕事ではヤクザと縁があるのに、自分の劇場ではヤクザを嫌うこと。ヤクザは雇いませんし、踊り子のヒモ(ヤクザが多い)は劇場に出入り禁止、地元のヤクザにみかじめ料は払いません。まあ、それ以外にもずいぶん変わった点がてんこ盛りの人なので、私は少々のことでは驚かなくなるのですが。
 平成になると、あちこちで立ちいかなくなった劇場が瀧口に「やってくれ」と泣きついてくるようになりました。再生請負人です。そこで踊り子たちにしつこく言ったのが「お客のために踊れ」「ストリップはライブショー、すべて一発勝負ですごいことをやっていることを自覚しろ」。ストリップに限らず、普遍的なサービス業でのプロの心得そのものですね。さらに、劇場の従業員たち(いわば社会の底辺の人たち)のために、劇場が再建できると、無償で従業員に劇場そのものをプレゼントしていたそうです。上手く運営できればそれで生きていけますから。
 ストリップの落陽が始まります。ストリップの舞台は行き着くところまで行き着き、踊り子は芸が下手になり、新しいタイプの風俗店が続々登場し、ネットで手軽に「性風俗」が自宅で自己完結できるようになり……
 そう言えば私が高校の時には学校の割と近くに日活ロマンポルノ専門館とストリップ小屋もありましたっけ。今はどちらもありませんが、かつての日本では劇場の舞台の上で客と踊り子が皆に見られながらセックスをするという「ショー」が行われていた、とは、一体どこの国の話ですか?と言いたくなります。「昔の日本」って、けっこうでたらめをやっていたんですね。
 瀧口は、大金を稼いでも、あればあるだけギャンブルで使い切ってしまう、豪快というか破滅型の人生を送っています。ただ、バブルの時にそういった人が日本に満ちあふれたことを思うと、実は日本人は「できるのならそういった豪快な人生を送りたい」と心の底では思っているのかもしれません。こんな“分析"をちまちまとやっている人間には緣はなさそうな生き方ですが。
 

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