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2018年07月11日12:49

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人権とか革命とか

 フランスは「人権」とか「革命」で知られていますが、ハイチでもヴェトナムでもそういったものを認めようとはしませんでした、というか、そういった主張をする人たちを弾圧しました。
 なぜなんでしょうねえ。

【ただいま読書中】『ディエンビエンフー陥落 ──ベトナムの勝者と敗者』ジュール・ロワ 著、 朝倉剛・篠田浩一郎 訳、 至誠堂(至誠堂新書16)、1965年、450円

 本書出版時は「ベトナム戦争」が盛んに行われていた時代です。1965年は「北爆」(宣戦布告も国連での決議も抜きで他国を大規模に爆撃する行為)が始まった年でもあります。今年の1月に『愛国とは何か ──ヴェトナム戦争回顧録を読む』(ヴォー・グエン・ザップ)、2月に『最後の高地 ──小説ディエンビエンフー』(フー・マイ)を読書日記に書きましたが、これはヴェトナム側の視点からのものなので、こんどはフランス側からのものを読んでみるつもりです。
 1953年、フランスのルネ・メイエル首相は、ベトナムからの名誉ある撤退を実現するために、ナヴァール陸軍大将をベトナムの総司令官に任命しました。アメリカの余剰兵器を利用して「安上がりな戦争」にしていましたが、それでも年間6000億フラン(と将校100人)がベトナムで消えていく負担に、フランスは耐えられなくなっていたのです。
 フランス人の文章(を和訳したもの)を読むといつも「詠嘆調だなあ」と感じますが、本書でも著者は詠嘆をし続けます。結果がすでにわかっている史実を扱うからかもしれませんが、フランス人(あるいはフランス語)は“そのよう"に世界を見つめているのかもしれません。
 無知と偏見と妄想と無責任によって「ディエンビエンフー作戦」が発動してしまいます。後付けで理由を探すなら「ベトナムとラオスの交通確保」「潜伏しているベトミンを集めて殲滅するための罠」などがありますが、ディエンビエンフーを占領する、ましてそこに要塞を構築しなければならない理由としては弱いと私は感じます。フランス本国は中国との交渉で撤退がうまくいく、と期待していましたが、ナヴァール司令官は“一矢報いる"ことで交渉を有利にしようと考えていたのかもしれません。シビリアンコントロールが上手く機能していません。そこでフランス政府は「援軍は送らない。追加予算はなし」としつつ、アメリカに追加の軍事援助1000億フランをねだります。アメリカは、朝鮮戦争が済んだばかりなのに新しい戦争を抱え込むことを嫌って、すっぱり払います。
 ベトナム人民軍の総司令官ボー・グエン・ザップは「ディエンビエンフー」の意味を推し量っていました。辺境の要塞にフランス軍は物資を空輸します。人民軍は人力で運ばなければなりません。それはハンディキャップではありますが、同時に軍事的に利用可能な価値を生み出すはずです。
 著者はディエンビエンフーの戦いから9年後にボー・グエン・ザップにインタビューをしています。それが本書には時折差し挟まれ、戦争に「個人の顔」を与えます。
 巨大な盆地の底でフランス軍(と外人部隊)は、ベトミンが近寄るのを手ぐすね引いて待っていました。ベトミンは105ミリの長距離砲は持っていないので、こちらの大砲の射程内に入ってくるしかない、と。しかし、人民軍は持っていました。そして、フランス軍の空爆の下、着々と大砲を運送し、盆地の底を見下ろせる高地に大砲を設置しようとしていました。そして、1954年3月13日、ついにベトミンは本格的な攻勢を取ります。まずベアトリス陣地が墓場になります。そして翌日にはガブリエル陣地に攻撃が始まります。その翌日にはアンヌ=マリー陣地。次はドミニック陣地。補充として夜間に落下傘降下をするフランス部隊は、即座に戦闘に投入され、ほとんどは夜が明ける前に死んでいきます。
 米国国防省(ペンタゴン)では、ディエンビエンフーに対する原爆使用が検討し始められます。しかし、それは、ベトミンを支援している中国の報復を招く恐れがあります。朝鮮戦争で中国が何をしたかを覚えている人は,震えます。
 エリアンヌ第二拠点は、地下に仕掛けられた大量の爆薬で壊滅させられます。このエピソードは『最後の高地』でも重要な扱いを受けていましたっけ。そしてフランスの新聞は一面トップに「ディエンビエンフー陥落」と大見出しをかかげます。それは、「西欧の敗北」「植民地帝国の崩壊」を知らせる雷鳴だったのです。


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