「過去」は、いくつかの事実の断片から成ります。だから過去を「予測」するのはある程度簡単です。断片と断片の隙間を「論理的な推測」と「奔放な創作」で埋めれば良い。
では、「未来」は? こちらには事実は手がかりになりそうな断片が見つかりません。
だったら、「予測」は、未来にではなくて過去に向かって行う方が楽そうです。
【ただいま読書中】『喋る馬』バーナード・マラマッド 著、 柴田元幸 訳、 スイッチ・パブリッシング、2009年、2100円(税別)
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目次:「最初の七年」「金の無心」「ユダヤ鳥」「手紙」「ドイツ難民」「夏の読書」「悼む人たち」「天使レヴィーン」「喋る馬」「最後のモヒカン族」「白痴が先」
一昨日はユダヤ人二人組の学者の話でしたが、今日はユダヤ人作家の本です。
ニューヨークの下町の貧しい商店またはアパート、イディッシュ訛りの英語を喋る人たち、ホロコーストの記憶……ユダヤ色が濃厚な作品が並んでいます。
しかし、「可哀想なユダヤ人が頑張っています」といった単純な物語が並んでいるわけではありません。というか、語り口は極めて平易なのですが、登場人物の性格や行動や動悸などは、どれもこれも一癖も二癖もあります。
「ユダヤ鳥」……自分のことを「ユダヤ鳥」だと名乗るカラスと彼(それ?)が住みついたアパートの一家との交流というか攻防戦というか、の物語です。ストーリー自体は単純なのですが、登場人物(とユダヤ鳥)のどこに共感をまず覚えるか(誰に感情移入するか)によってこの物語はまったく別の側面を見せるでしょう。私はわざと視点を変えて2回読んでみましたが、2回目を読み終えたら頭がぐらんぐらんしてきました。これはただの寓話ではなくて、もしかしたら、ちょっと危険なものを内包している短編かもしれません。本来寓意というのはそういうものなのかもしれませんが。
「天使レヴィーン」……ユダヤ人が「黒人のユダヤ人」の存在にたじろぐところがまず笑えます。黒人どころかアラブ系のユダヤ人だっていることは理屈ではわかっていても、自分が属する共同体にいないタイプの人には不信感のようなものを抱いてしまうのでしょうね。しかもその“人"が、自分は保護観察下の天使で翼は奪われ奇跡を起こす力もない、と言うのですから不信感はますます募ります。
「喋る馬」……ここで私は『進撃の巨人』を連想してしまいました。やり過ぎのクロスオーバーです。
「ユダヤ」という「異文化」の物語ですが、なぜかこちらの心に響くものがあります。本書に並ぶ作品の共通点を無理に探すなら、「呪縛」でしょうか。登場人物のほとんどは、何かにしがみつき、人生の選択肢が出現した瞬間にもそれをあっさり無視してしまいます。こちらから見たらもったいない話なのですが、もしかしたら私たち自身も何かに呪縛されて生きているのかもしれない、と“一般化"を試みたくもなります。
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