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2017年09月17日06:59

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個人名

 私は「北朝鮮」に直接の知り合いはいません。個人名を知っている人もニュースに登場する数人だけです。これがもっとたくさんの人の名前を「知って」いる状態になったら、北朝鮮に対する感覚も変わっていくのかもしれません。
 それは、北朝鮮にいる人たちも、同様だと期待したいのですが。

【ただいま読書中】『モーツァルトの人生 ──天才の自筆楽譜と手紙』ジル・カンタグレル 著、 博多かおる 訳、 西村書店、2017年、4800円(税別)
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 18世紀半ば、ザルツブルクにレオポルト・モーツァルトという宮廷副楽長がいました。彼は優れた音楽家兼教育者で、「町で一番美しいカップル」と噂される夫婦は7人の子に恵まれました。しかし生き延びたのは2人だけ。1756年1月27日に末の息子が生まれ、ヨアネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルスという4つの洗礼名が与えられます。最後の「テオフィルス」は「神に愛された者」の意味ですが、そのラテン名「アマデウス」の方が有名でしょう。
 レオポルトは息子の音楽の才能に驚きました。読み書きを覚える前に音楽(複数の楽器の演奏と作曲)を覚えたのです。6歳の誕生日を迎える前に「ヘ長調のメヌエット」を作曲。楽譜が書けない息子の代わりに父親が楽譜を日付入りで残しました。父親は息子を世に出そうと、11歳の姉ナンネル(彼女も優れた音楽家でした)と6歳の「モーツァルト」を連れて「旅行」を始めます。目指すは帝国の首都ウィーン。途中の町々でも演奏をし、「天才少年」の噂は瞬く間に帝国に広まります。ウィーンでの3箇月の滞在は成功裡に終わり、レオポルトは“次の段階”に進みます。限られた「世間」ではなくて「世界」にこの「奇跡」を知らしめるのです。
 63年から3年半、一家はドイツ、ブリュッセル、パリ、ロンドン、オランダ、フランドル地方、パリ、と巡ります。パリではヨハン・ショーベルトと出会い作曲技法のヒントを得ますし、ロンドンではヨハン・クリスティアン・バッハ(大バッハの末子)と出会い21歳の年齢差も関係なく親交を深めます。ヴォルフガングの初期の交響曲やソナタには、ヨハン・クリスティアンの影響が明確にあるそうです。10歳を過ぎて帰郷したヴォルフガングは「天才音楽少年」から「プロの音楽家」へと転進していきます。レオポルトのマネージメントは実に見事ですが、才能と周囲からの賛嘆に溺れて潰されてしまわないヴォルフガングの強靱さにも私は驚きます。「作曲家モーツァルト」を完成させるためには、当時最高峰のイタリア音楽を吸収して教育の仕上げをする必要があります。1769年から3年間のイタリア旅行をレオポルトは企画、北から南へ父子はイタリアを駆け抜け、駆け戻りました。
 戻ったザルツブルクでヴォルフガングは“雇用主”である大司教と衝突ばかりで、幸福な生活は送れませんでした。ただ、ザルツブルクにはミヒャエル・ハイドン(ヨーゼフ・ハイドンの弟)が住んでいてこれまた年齢差を無視してヴォルフガングと友情をむすび、その作風に影響を与えます(モーツァルトは「ハイドンの作品から弦楽四重奏を学んだ」と言っています)。しかし、73年に作曲された「交響曲第25番(K.183)」の第一楽章のテーマは映画「アマデウス」のクレジットに使われましたが、17歳の心にどうしてここまで悲劇的な音楽が生じたのか、と著者はいぶかっています。
 モーツァルト家の書簡集は、当時の堅苦しい風習とは違って、あけすけで自由奔放な雰囲気でした。モーツァルトの母アンナ・マリアも「おなら」「お尻」について手紙で自然に語っていたりします。その中で、ヴォルフガングの父への尊敬と愛情と感謝は(二人の間で緊張が高まった時期でも)変わることはありませんでした。ヴォルフガングが恋をした相手(これがまた数が多い)への手紙もまたあけすけでユーモラスなものです。
 1789年ライプツィヒ、聖トマス教会(J・S・バッハの仕事場だったところ)でモーツァルトはバッハのモテットの楽譜を見ることを許されます。その研究で対位法を身につけたモーツァルトの音楽は、大きな転進をすることになります。
 そして、フリーメイソンとの出会い。入会後のいくつかの作品には、フリーメイソンの影響が明らかに見られるそうです。私にはちんぷんかんぷんですが、というところで私は先日読んだばかりの『三拍子の魔力』(なかにし礼)を思い出します。
 本書には、自筆の楽譜や手紙がたっぷり散りばめられ、肖像画や風景画も当時描かれた物が使われています。この「記録の厚み」に私は少しずつ圧倒されてしまいます。一言でまとめることができない複雑で魅力的な人物像が、ページの間から立ち上がります。手持ちの曲のどれかを聴きたくなってしまいました。


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