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2017年09月09日07:25

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映画と人生

 映画に人生のすべてが詰まっている、と言わんばかりの人がときにいますが(実際に私もその意見にある程度賛成ですが)、それを極論に推し進めたら、映画さえ見たらあとは生きなくてもよい、ということになるのかな?

【ただいま読書中】『リメイク』コニー・ウィリス 著、 大森望 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF1275)、1999年、580円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KID91KY/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00KID91KY&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=d0a4d8ed16ecb0d65812ea53e1a9ae09
 近未来のハリウッド、映画産業はまだ盛んですが、実写映画の新作は撮影されていません。過去の膨大な映画をデジタルに取り込み、それを“素材”“部品”として自在に組み合わせることで「新しい映画」が次々生み出されています。なにしろ「三発機がこの場面に欲しい」となったら、実機を探すよりもそれが登場している映画(たとえば「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」からそのカットを頂けば良いのです。だから「どの映画のどのシーンに○○が映っている」という知識が「映画製作」にとても重要になります。それとそれをデジタルで処理する腕も。
 古典的なボーイ・ミーツ・ガールもののように本書は始まります。トムはデジタル処理の腕が抜群の大学生。しかし彼は「古い映画(特にミュージカル映画)」に囚われています。たとえば「踊るニュウ・ヨーク」でフレッド・アステアとエレノア・パウエルのダンスシーンを各マイクロセカンドごとに言葉にできるくらいの愛着を感じています。このシーンはトムにとっては「部品」ではなくて「すばらしいダンスシーン」なのです。そしてトムが出会ったのが、実写版のミュージカル映画に出演すること(多くの“マリリン”たちが夢見る「自分の顔だけを画面にはめ込んでもらいたい」ではなくて、「実際にダンスを踊るところを撮影して欲しい」)を熱望するアリス。(ここで、「踊るニュウ・ヨーク」のフレッド・アステアとエレノア・パウエルが“対等”のダンス・パートナーで、しかもお互いに触れ合わずでも離れもせずすれすれの所でステップで“会話”をしながら舞い続ける“意味”が重要になります)
 トムの口から出る言葉の半分以上は映画のセリフの引用です。ということは、彼の人生そのものが「映画のリメイク」になっている? 映画への愛に溺れ、それなのにハリウッドはリメイクだけ。欲求不満がたまりますが、そこで生きていくためにトムは自分自身を裏切り続けて生きていくしかありません。そして、アリスに対してやっと「自分の言葉」で本音を話すことができたとき、アリスはドアを閉めて出ていった後でした。
 トムは金のために請け負った映画の検閲作業(過去の映画から、ドラッグ・アルコール・煙草などを削除すること。「ニュー・シネマ・パラダイス」ではキスシーンが手作業で削除されていましたが、トムはそれをデジタルでやっています)をせっせと行いますが、そこで目を疑います。アリスがダンサーとしてあちこちに紛れ込んでいるのです。それも、自分の顔だけをオリジナルの俳優の体に貼り付けているのではなくて、明らかに「そこで踊っている」のです。ドラッグやアルコールのやり過ぎによる幻覚か、まさかタイムトラベルか? トムはその謎に執着します。
 そのトムを愛してしまった(そして振り向いてもらえない)人の姿も印象的です。映画だったら、助演賞もの。片思いの連鎖は青春映画の定石ですが、本書ではそこに「映画への愛」が絡んでくるので話が不必要にややこしくなります。で、本書は「ハッピー・エンド」なんでしょうか。というか、リアルライフでの「ハッピー・エンド」って、何?


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