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2017年07月25日06:55

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明日は二日酔い?

 安心して酔っ払えるのは、明日の命は保証されている、と思っているからです。

【ただいま読書中】『笑う、避難所 ──石巻・明友館 136人の記録』頓所直人 著、 名越啓介 写真、集英社新書ノンフィクション、2012年、720円(税別)
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 石巻市民会館の隣に勤労者余暇活用センター「明友館」があります。2011年3月11日、市民会館は老朽化していて耐震性に不安があったため、避難してきた住民たちは鉄筋コンクリート二階建ての明友館に入りました。そこを津波が襲います。水は階段踊り場近くまで到達。約130名の避難者は孤立します。行政の指定避難所にさえ救助の手が届かない状況で、自主避難所の明友館はいわば忘れられた存在になってしまいました。しかし、震災二日目、ペットボトルの水を届けてくれた近くの住民がいました。石巻から車で1時間くらいのところで仕事中に被災した人が、徒歩でヘドロと瓦礫を乗り越えて帰宅したのですが、消防署に寄ってペットボトルを分けてもらいそれを明友館と近くの(普段なら徒歩で20分の距離、その日は1時間くらいかかったそうです)湊小学校(2000人が避難)に配りました。明友館の避難者が初めて外部から食糧をもらえたのは、震災31時間後、1人あて1個の塩むすびでした。
 情報は入らず、物資も届かない。このままでは先行きが不安だ、ということで、数少ない男たちは、明友館を取り囲む重油と汚水とヘドロの海を踏み越えて物資調達に出かけます。真っ暗なトンネルを抜けた先は、津波で破壊し尽くされた町でした。そこで全壊したスーパーから食糧を掘り出して避難所に持ち帰ります(スーパーのオーナーがそれを許可していました)。3日目の夜、「これからどうする?」という会議が開かれます。明友館の職員は1人だけ(それも1年の出向)でしたが、会議では実にスムーズに方針と役割分担が決定されます(「地域社会」のせいかと思ったら、実はほとんどの避難者は初対面でした)。4日めの朝、リーダー(本人は「まとめ役」と自称)は唯一のルールを発表します。「ウンコをしたら、水を流す」。外の汚水でも良いから流せば、流れるのです。実はそういう“技術的な話”ではなくて、「避難所でも、人間らしく生きよう」という主張が込められたルールです。だからでしょう、明友館では避難者がそれぞれ自主的に「役割」を果たすようになりました。
 潰れた工場からガスボンベやコンロや調理用具、避難している人たちの自宅からも食糧調達が進みます。男たちは日中は外でせっせと働き、夜は「作戦会議(実態は飲み会)」を行います。
 調理班も奮闘します。集められた食材で冷凍食品のような早く食べなければならないものから使って130人分を、でもいつまで食いつなげるかわからないから全部食べ尽くすようなことはしないように調節をして…… ゴールデンウィークの前くらいになると市からお弁当が届くようになりましたが、それまでは「自炊」がずっと続いたそうです。
 携帯がつながるようになると、人の繋がりを通じてどっと支援物資が届くようになります。届けてくれたのは「とんでもな奴ら」ですが、ともかく集まった物資を、在宅避難民や幼稚園などの子供施設へとさらに配分する「支援する避難施設」に明友館は変わっていきます。しかし、そこに物資を届ける人々のエネルギーと熱意のすさまじさに私は圧倒されます。しかも全然肩に力が入っていない。本書に登場する人たちは、みんな「笑って」いるのです。しかし「4トントラックいっぱいの白菜」が明友館に運び込まれたとき、それをわずか3日できれいに配ってしまったのには驚きます。これは行政に任せていたら絶対できないことですから。避難者が避難者のために避難者のニーズに従って行動したら、「支援する避難施設」が誕生してしまったのです。外から「支援」のために訪れた人々は「こんな避難施設、見たことない」と驚いたそうです。それはそうでしょうね。笑いがしょっちゅう起き、毎晩酒盛りをし、娯楽室では麻雀をしている避難所なのですから。
 本書には、あまり喜ばしくない行為もいくつか登場します。たとえば「シミのついた上着など、明らかに捨てる代わりに被災地に送りつけた」とか「助けてやっているんだ、というNPO」とか「融通の利かない官僚主義」とか。人が不幸なときに、それをさらに不幸にしたい、と言わんばかりの人はいるようです。だけど明友館は「最後の砦」として機能し続けました。「笑い」を拠り所として。だから人のネットワークがそこで強固に結ばれ展開していったのでしょう。印象的だったのは、明友館が「支援する人も救った」ことです。その意味を知りたい人は、本書をどうぞ。


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