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2017年03月25日06:52

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教育勅語

 戦前生まれの人に話を聞くと、教育勅語の暗誦は小学校に入ってから、高学年になると書き取りをやらされたそうで、難しい漢字が多くて大変だったそうです。
 21世紀に幼稚園児に教育勅語を暗誦させる「教育者」やそれを絶賛する「政治家」にも、教育勅語の暗誦や書き取りをさせてみたくなったんですが、当然できますよね? 幼稚園児や小学生にもできることですから。
 ……私? たとえば「朕」を間違えずに書けるかな?
 ……ところで明治天皇は、一般国民が「朕」「朕」と言っていることをご存じだったのでしょうか?

【ただいま読書中】『1980年代』斎藤美奈子・成田龍一 編著、 河出書房新社、2016年、1800円(税別)
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 「戦後思想」が「リアリティー」を失ったのが1980年代ではないか、が本書の出発点のようです。では実際に「その時代」はどのようなものだったのか、を見てみよう、ということでアンソロジーとして本書は編まれました。
 日本で「戦争体験」を「成人」として持っている人たちが社会の一線から引退していったのが80年代です。つまり「戦争体験」のリアリティーに関する社会的合意が少しずつ崩壊していった時代です。そこで「左翼」は「サヨク」へと変質していきます。保守も「対米従属を維持」しつつ「戦後体制の否定」をするという難しい論理操作が必要で、なかなか思うような方向に日本を持っていくことができません(「押しつけられた憲法」は攻撃するが、それを押しつけた主体(=アメリカ)には従属姿勢を見せなきゃいけませんから)。それでも戦争体験が風化していくことで少しずつその論調は変化していきます。
 80年代初めからグルメブームが始まりました。バブルのころのグルメブームはすごかった覚えがありますが、実はそれ以前から「グルメ」は始まっていたのです。逆に言えば、“そういう風潮”があったからバブルも容易に成長したのかもしれません。
 85年にはプラザ合意で、円高誘導が国際的に認められました。これはアメリカの対日債務の軽減、という一面もありましたが、結果として「バブル」が膨らんでいきます。
 21世紀の日本は格差社会と呼ばれますが、実は「一億総中流」の80年代も格差社会でした。ただ、人々は格差に対して無自覚で「中流」という幻影の中に生きていました。そこで人々が「自分の位置」について自覚していたのが「古いか新しいか」です。そう言えばあの頃には「古いなあ」が盛んに使われていましたね。
 86年にチェルノブイリ原発事故。これで「反原発運動」が盛り上がります。ただ、東芝EMIは「反原発ソング」の発売を拒否。「親会社の東芝が原発事業を行っているから」と囁かれましたっけ。
 「アグネス論争」もありました。当時「キャリア・ウーマンの恐いおばさま方が職場に赤ん坊を持ち込もうとする可愛いアグネス・チャンを『プロ意識に欠けている』といじめている」といったおもむきもありましたが、本書では「過剰な母乳主義(アグネスの主張は「いつでも母乳をあげられるように」でした)」や「女の問題としてとらえられているところに、時代の刻印が見える」といった指摘がされています。たしかに今だったら、男も巻き込まれているはずです。
 昭和が平成に。89年ベルリンの壁崩壊。天安門事件。
 どうもこういった本は「冷静」には読めません。自分自身が生きた(それも大学を卒業して社会人となって、それなりの腕前になっていった)年代ですから、ついつい追憶にふけったりしてしまいます。引っ越しの時に隅っこから出てきた昔の新聞や忘れていた本をつい読みふけってしまう感覚かな。ただ、こうして「昔」を振り返るのも、たまにはやってみるべきですね。ゆっくり「日本」が変わっていることが意識できましたから。


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