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2017年02月13日07:14

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歌詞とメロディー

 私の最近のお気に入りの歌は「back number」というバンドの「ハッピーエンド」という歌です。特に「大丈夫大丈夫」と繰り返すところがとても印象的。言葉は「大丈夫」と言っているけれど、心はちっとも大丈夫じゃないことをメロディーが実に雄弁に語っています。歌詞とメロディーは分業をすることで曲全体の効果を高めていますが(「歌詞は意味」で「メロディーは感情」かな)、「ハッピーエンド」ではその分業が実に見事な相乗効果です。特に「大丈夫」の最後でポルタメントで音が動くところで、こちらの心も震わされてしまいます。しかし、これでなんで「ハッピーエンド」なんだろ?

【ただいま読書中】『ジャズを求めて60年代ニューヨークに留学した医師の話 ──私のJAZZ黄金時代体験記』中村宏 著、 ディスクユニオン、2016年、2500円(税別)
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 ジャズファンの集まりで知ったジャズ評論家が慶應医学部講師だと知り「慶應医学部に行ったらジャズが聞ける」という勘違いで著者は慶応に進学します。というか、慶應医学部は難しさで東大理3(=医学部)と並び称されていませんでしたっけ? たとえ勘違いでもそれで合格してしまうとはただ者ではありません。そして「本場でジャズを聴きたい」という情熱から、1962年マンハッタンのマウント・サイナイ病院への留学に飛びつきます。著者は人生の節目に「ジャズ」で進路を決めています。
 日米の医学の違いは様々ありました。医療制度も医業技術も人の意識も全然違います。面白いのは、当時の日本では注射器はガラス製でしたが(私は覚えています)アメリカはすでにプラスチックの使い捨てだったのですが、その注射器がテルモ製(=日本製)。また、すでに本人に対する癌の告知が行われていました。日本は30年経ってからアメリカのやり方を受け入れているようです。
 一日おきに当直(一晩に必ず数回は起こされる)、隔週ごとに週末は当直、というきつい仕事ですが若さで乗り切り、著者はジャズも楽しみます。当直ではない夜にはライブハウスに通います。レジデントの月給は166ドルですが衣食住の基本は無料なので、ライブハウスの平日2ドル週末3ドルの料金も支払うことができました。1年の留学が終わったときには、帰国前にニューポート・ジャズ・フェスティバルへ。1週間の至福の時を著者は堪能します。
 一時帰国しますがまたアメリカへ。こんどはコーネル大学で腎移植の研究です。その途中でサンフランシスコのナイトクラブのカウンターでたまたま隣に座ったのが売れる前のハービー・ハンコックで「ニューヨークに来たら遊びに来るように」と自宅の住所と電話番号を教えてもらったのにそれっきりにしてしまいます。もったいないもったいないもったいない。
 ジャズ・コンサートの開演が「11:59P.M.」と表示されているのに著者は面食らっていますが、これはニューヨークっ子には「0時」という概念がなくて真夜中は「午前12時」になるのですが、「12:00A.M.」と書くと正午と勘違いされる可能性があるから、だそうです。というか、真夜中に開演って、そちらの方に私は驚きましたが。デューク・エリントン、カウント・ベイシー、マイルス・デイヴィス、サッチモなどビッグネームが続々登場します。それらを全部生で聴いているのですから、著者には至福の時代だったでしょう。医者としても絶好調で、人生をダブルで生きているみたいです。一芸に秀でているだけでもすごいのに、ダブルで人生を生きることができたら、体力と時間には厳しいでしょうが、楽しみは倍以上でしょうね。


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