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2016年07月11日06:19

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脳科学者

 テレビによく出てくる脳科学者(自称)って、実際にどこでどんな研究をしてどんな論文を発表しているんでしょう? 日本では「哲学者」というと「他人の哲学を研究する人」である場合が多いのですが、「脳科学者」も同様なのかな?

【ただいま読書中】『ぼくは物覚えが悪い ──健忘症患者H・Mの生涯』スザンヌ・コーキン 著、 鍛原多恵子 訳、 早川書房、2014年、2600円(税別)
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 健忘症患者が登場する文学作品で日本でよく知られているのは『博士が愛した数式』(小川洋子)でしょう。「博士」のように80分という時間制限はありませんが、本書の“主人公”ヘンリーは新しいことをほとんど覚えることができないまま「永遠の現在」を生き続けた人です。
 子供の時からてんかん発作に悩まされていたヘンリーは、毎日小発作が起き、時には全身の大発作にも襲われ、薬は全然効かない状態でした。1953年ヘンリーと両親は、他に手がないため、実験的な脳手術に同意します。医師が切除したのは、前頭葉の少し奥にある海馬と扁桃体でした。「海馬」と言えば「記憶」と今は言えますが、実はそれが言えるようになったのは「ヘンリー」(たち)の障害を研究できたからです。手術当時にはまだ海馬の機能は嗅覚や情動で、かつてんかん発作の場でもありました。だから切除しても利益の方が大きい、と考えられていたのです。手術は一定の成功をおさめました。ヘンリーの発作は起きなくなりました。しかしヘンリーは、1953年よりあとの記憶を一切持てなくなってしまったのです。
 大学院生だった著者は1962年からヘンリーの研究に参加しました。テーマは「長期記憶と短期記憶の関係」。著者の検査ではヘンリーは新しい記憶が30秒しか保持できませんでした。つまりその時間内に記憶を長期記憶に書き込まなければ、それはあっさり“蒸発”してしまうことがわかったのです。
 そういえば事故などで頭をひどく打撲した人が、事故の前後のことを全然覚えていない逆行性健忘になることがあります。これは事故前後の30秒くらいの記憶を衝撃で気を失って長期記憶に書き込むことに失敗したために「健忘」になっているのでしょう。
 ただしヘンリーは、暗誦を繰り返し続けることでずっと同じ記憶(たとえば検査で言われた数字の並び)を短期記憶に保持し続けることも可能でした。これを「統制的処理過程」と呼びます。これは私たちも使うテクニックです。「これは覚えておこう」ということは繰り返し唱えたり書いたりすることで「覚え」ますから。ただし私たちはそれを(短時間の)長期記憶に移すことができますが、ヘンリーはそれが不可能なので暗誦の邪魔をされるとあっさり忘れてしまいます。
 「ヘンリー研究」は、「画像検査(除去された部分と残存部分を明確にする)」と「認知検査(記憶その他の知的機能の検査)」の二本立てで行われました。CT検査は1977年から行われています。92年には最初のMRI検査も。「辺縁系=情動」「海馬=記憶」など、現在脳科学者と自称する人たちがテレビなどで偉そうに喋っている内容は、こういったヘンリー(たち)に関する長く精密な研究から生まれたものです。
 なおヘンリーは検査について面白がってこう言っています。「ぼくが生きて、あなたがたは学ぶ」。
 もっとも、ヘンリーの死からも「あなたがた」は学びました。ヘンリーの死後すぐにMRIを機械が壊れる寸前まで異常なくらい精細に動かして情報を得、さらに解剖によって実際に脳がどうなっているのかの確認もしたのですから。
 本書は、ヘンリーの脳から我々が学んだことについての本ですが、同時に、ヘンリーという人物がどのような人であるか、の物語でもあります。穏やかでユーモアがあり、研究所には“ファンクラブ”のようなものができて、検査が終わると多くのスタッフがヘンリーを取り囲んでお喋りをしました。ヘンリーにとっては皆“初対面の人”なのですが(だって、覚えていませんから)、それでも彼は穏やかにその相手をしてくれるのです。「記憶」と「知能」と「人格」は、ある程度の関係はあるのかもしれませんが、たとえ「記憶」がなくても「知能」と「人格」は保たれる、ということのようです。
 ということは、近い将来私が認知症になっていろんなことを覚えることができなくなったとしても、その時に「嫌な人間」になるかどうかは「認知症」によってだけ決定されるわけではないようです。この知識をその時まで覚えていたいなあ。


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