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2016年06月21日06:46

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一番わがままな人たち

 阪神淡路の頃から「被災者のわがまま」をいさめる論調が時にありますが、私から見ていちばん「わがまま」なのは政府ではないでしょうか。被災者には各個人ごと各地域ごとの事情があることを無視して「復興」を計画し、法律で行動や予算に一律の縛りをかけ、どんな状況でも「○年間で仮設住宅からは退去」などと言いつけるのですから。自分の都合しか主張していない態度だ、と言えません?

【ただいま読書中】『期限切れのおにぎり ──大規模災害時の日本の危機管理の真実』鈴木哲夫 著、 近代消防社、2016年、1500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4421008834/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4421008834&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 大震災が起きました。あなたは“責任者”です。目の前にあるのは消費期限が切れたおにぎりだけ。あなたはこれを、避難所の飢えた人々に、配りますか? これが本書のタイトルの意味です。
 昨日の『子どもの貧困と教育機会の不平等』には「人災」が登場しました。偶然でしょうが今日も「人災」を扱った本が続きます。おっと「縦割り」もこちらにしっかり登場します。
 本書でインタビューを受けているのは、消防庁長官・自衛隊の統合幕僚長・長岡市長・宮城県知事・岩手県知事・石巻日日新聞常務・防衛大臣・総理大臣・復興大臣政務官など、阪神淡路大震災・中越地震・東日本大震災で「決断」を迫られたリーダーたちです。
 フクシマに関して消防や自衛隊で共通して指摘されているのは「何も決まっていなかったこと」です。「原子力発電所の重大事故」は“想定外”だったため、原発の過酷事故の時に誰が権限と責任を持つのか、命令系統はどうなるのか、予算はどこから持ってくるのか、など重大なことがすべて「未定」だったのです。そのために現場はものすごく不自由なことになりました。
 役人の体質も問題です。「不平等があってはならない」というテーゼを守るため、ある市では毛布が全員に行き渡るまでの数が揃うまでずっと倉庫に貯めておいて避難所には一枚も配りませんでした。馬鹿か、と私は思います。「申し訳ないが、二人に1枚しかありません。皆さんで話し合って使ってください」などの方法がなぜ採れません? あとになって「不平等だ」という文句が出るのを予防するためにそんな措置をするのは、「自分の保身」が最優先で、そのためなら「すべての人の生命と快適性を犠牲にしても良い」と主張していることになります。もちろん「平時」に不平等は困ります。だけど非常時には、生命の保全と少しでも快適性を増すことが優先しません?
 なんだか、私は改めて腹が立ってきました。
 長岡市長の話もヒントに満ちています。たとえば「個人の善意」の否定。震災直後に個人がいろいろ物資を送ってくると、箱の中には様々なものが詰められていますから、一度開けて仕分けて再梱包や再集計をする手間が発生します。人手不足の時にそんな手間はかけられませんから、どの被災地でも個人からの小包は倉庫に山積みになって処理は後回しになっていました。だから長岡では「否定」を宣言したのだそうです。勇気が要ると思いますけどね。それと「期限切れのおにぎり」。これも「飢餓」と「食中毒」の二つの要素をどうやって満足させるか、そこにリーダーの決断が必要になります(その決断をせずに現場に任せるのは無責任なリーダーです)。
 「動こうとする人たち」を積極的に阻害するのが「霞ヶ関の縦割り行政」です。たとえば「高台移転」。用地取得の登記は法務省、憲法解釈は内閣法制局。建物建築や土地造成は国交省、土地が山林だったら農水省。地権者が津波で行方不明だったり死亡が明らかでも相続でもめていたりしたら話はさらにややこしくなります。「街並みを縦にしよう」というアイデアもありました。高層ビルを作って、下層は商店、高層は住居。こうしたら昔からの住民が移転をせずにそのまま“そこ”で住み続けられるし、津波が来たら皆「上」に逃げれば良い。高台移転をせずに済むよいアイデアに思えますが、建設の認可を国交省は拒絶。「商店が入るのなら、それは経産省の管轄」なのだそうです。結局調整者が必要なのですが、誰が調整のリーダーシップを取るか、で話がスタックします。交付金も「縦割り行政」が妨害します。そもそも交付金は被災者のために支出されるものです。つまりそれぞれのニーズに応じた使い道があるはず。ところが交付金は各省庁の「ひも付き」です。つまり、各省庁のための支出であって、被災者のためのものではありませんでした。
 地元の新聞については以前『6枚の壁新聞 ──石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』(石巻日日新聞社)で読んでいましたが、マス・メディアの目的「誰に」「何を」伝えるか、の「誰に」をきちんと意識している点が印象的でした。『6枚の壁新聞』では「震災(津波)」と「その直後の人災」をいかに新聞が生き延びたか、が扱われていましたが、本書ではその後の復興についても触れられています。そこで登場するのがやはり「法律」「縦割り」「権限」。まったく日本の官僚組織は、部分最適しか考えていないのか、と言いたくなります。それで一生が安穏に過ごせるのだったら、それはそれで幸せな人生なのかもしれませんが、大災害で社会が根こそぎ損害を受けているときにも同じ態度しか取らないのは、社会に対しては有害な存在だ、と私は認定します。


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