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2016年06月04日07:02

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生活に入ってくるもの

 私にとってテレビは「生活に入ってきたもの」でした。それまでテレビは「よその家に行って見せてもらうもの」だったのですが、「その日」以降は「我が家で見るもの」になったのです(同時にチャンネル権争い、なんてものが発生しましたが)。多くの家電製品(冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電話)や自家用車など様々なものが入ってきて生活は“豊か”になりました。しかし逆に言うと「ものが増えないと生活の豊かさが実感できない」育ち方をしたのではないか、と自分のことが思える場合もあります。
 だけど「豊かさ」には別の側面もあるはずですよね? それは「すでにそういったものが“存在している”ことが当たり前」の人たちに教わらなければならないことなのかもしれません。

【ただいま読書中】『テレビ・コマーシャルの考古学 ──昭和30年代のメディアと文化』高野光平・難波功士 編、世界思想社、2010年、3000円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4790714837/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4790714837&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 京都精華大学は、3つのプロダクションの制作物(そのメインは老舗のTJCが制作した9096本のプリントフィルム(1954〜43年))をデータベース化していました。当初は「アニメ史」を研究するつもりでしたが、半分以上が実写だったため、CM史も研究テーマとして浮上したのだそうです。
 TJC(旧称:日本テレビジョン株式会社)は初期のCM制作では、電通映画社(現:電通テック)とトップシェアを争う会社でした。北海道から占領下の沖縄まで、少数ながら海外向けも含む1500本以上のCMは、これまで「名作」「ヒット作」だけを扱ってきた「CM史」に新しい境地をもたらすはずです。
 我が家に白黒テレビがやって来たのは昭和30年代半ば。本書を読むことで私も自分の記憶に分け入ることができるかもしれない、と期待をしながら本を開くことにします。
 初期のCMの特徴は、「長すぎる」「短すぎる」「画面の半分だけ使う」「文字だけ」「番組と区別がつかない」と多種多様であることです。これは「型破り」なのではなくて、そもそも「型」が存在しないからでしょう。とにかく作って流してみないと何も始まらないわけです。そして、ある程度の経験を積むと、「理論」が生まれ、予算が付くようになり、「CMの型」が出来上がります。昭和30年代はCMが「手作り」から「プロが作る数十秒の短編映像作品」へと変わる10年間でした。最近の10年間でネット広告がずいぶん変わったことを思うと、テレビ創生期にはもっとダイナミックだったのだろう、と想像ができます。
 重要なのは「一社提供」というキーワードです。当時は「一つの番組は一つのスポンサーが提供する」が“常識”でした。当然CMもその枠組みで作られます(1960年代になると長い(1時間以上)番組で2社提供が登場するようになり、72年以降は現在のような共同提供方式が主流になります)。具体的には、「タイム(番組内のCM)」と「スポット(単発のCM)」が明確に区別されていました(現在の共同提供の番組では、タイムとスポットは区別がつかなくなっています)。たとえば昔の「タイム」は、番組の中で「生コマーシャル」をしたり、番組の画面にテロップでCMを重ねたり、スポンサー企業の商品をそのまま番組に登場させたりしていました。そういえば私が好きだった『鉄人28号』ではオープニングの主題歌の最後で「グリコ」が連呼されていましたね。あれも一社提供ゆえにできることでしょう。
 テレビCMは、最初は朴訥とした「新商品のお知らせ」でしたが、やがて洗練した「説得」さらには「誘惑」に進化しました。おおざっぱな傾向として、昭和30年代前半には「女性がのんびりと商品について視聴者に呼びかける」ものが、後半には「複数の男女が商品に関する短い物語をテンポ良く演じる」ようになったと言えそうです。この「傾向の分析」は、動画の音声をテキストにしてからまとめて分析する手法が用いられています。
 「CMの音楽」と言えば条件反射的に「CMソング」と言いたくなりますが、50年代のテレビではインストゥルメンタル音楽のみを使っているCMが主流でした。使われるのは、当時流行のムード音楽・ジャズ、それにクラシックがほとんどです。昭和30年代のCMソングと言えば三木鶏郎ですが、はじめは様々な作詞家・作曲家がいたのがだんだん三木一人に注文が集中していった動きがデータベースからは見えます。
 「テレビのアニメーション」と言えば、私にとっては「鉄腕アトム(昭和38年開始)」ですが、実はまずCMでアニメーションは多用されました。データベースを概観した印象では、半数以上でアニメーションが用いられているそうです。もちろんアトムのようなキャラがすべてで動いているわけではなく、商品名などの文字を表示する際にセルやスーパーを用いてアニメートさせるものも含めています。アニメーションのプロダクションは東京、と私は思っていましたが、CMのアニメーションは、映画撮影が盛んだったこともあり、京都あるいは関西で盛んに撮影されていたようです。その代表作が「ヤン坊マー坊天気予報」です。これは1959年に放送が始まりました。ちなみに、「ヤン坊マー坊天気予報」のアニメは、1959年から本書執筆時の2009年までの207作すべて中邨靖夫というアニメーターが一人で制作していたそうです。「関西」「一人」というのが二重に驚きでした。
 この世界は未知の驚きに満ちているようです。


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