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2015年11月24日06:45

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今は何ビット?

 私が1987年に購入したパソコンNECのPC9801-VX2には、なぜかCPUが二つ搭載されていました。日本電気のV30とインテルの80286です。286の方がメモリー空間が広くて“高性能”という触れ込みでしたが、それまでのソフト群はV30用に開発されていて286と互換性がないものがあるため、起動するたびにスイッチでどちらのCPUを使うかユーザーが選ぶことができる、という使いやすいのか使いにくいのかわからないシステムでした。どちらにしても「16ビットCPU」で、今から見たらそれほど差はないだろう、と言いたくなるものではありますが、当時のパソコン雑誌では「それぞれのCPUの利点や欠点」について熱く語られていましたっけ。
 やがて32ビットの80386マシンが発表され「時代は32ビット」になったのですが、NECの最初の32ビットマシンXL2では「32ビットはオプション」で、16ビットを32ビットにしたければあとから別のCPU(機能拡張プロセッサ)を購入しないといけない、という阿漕な商法が平然と行われていました。「最初からついている386は、じゃあ、何なんだ?」と私は不思議に思ってVX2を使い続けました。というか、その頃から「パソコンで何ができるか」よりも「私はパソコンで何がしたいのか」の方が重要になっていたのです。
 ところで皆さんは、使用しているパソコンやタブレットやスマホ、CPUというかMPUが何ビットか、ご存じです? 実は私は知らないんです。

【ただいま読書中】『超マシン誕生 ──コンピュータ野郎たちの540日』トレイシー・キダー 著、 風間禎三郎 訳、 ダイヤモンド社、1982年、1800円
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J7K7P2/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000J7K7P2&linkCode=as2&tag=m0kada-22
 60年代末から1970年代に“ゴールドラッシュ”がありました。厳密にはゴールドではなくて“シリコン”でしたが。つまり「コンピューターを開発することで金を手に入れる」競争です。
 1968年「データゼネラル」もこのラッシュに参入します。当時の小型コンピュータ市場は急成長中で、そのトップはデジタル・エクイップメント社(DEC)でした。65年に「PDP-8」という小型コンピュータを市場に送り出して成功しています。そのDECから退職した若手技術者たちがデータゼネラルを興しました。1年で100社以上という起業ラッシュの時代でした。その過当競争の中で、データゼネラルが発表した「NOVA」は安くて優れていました。他社製品との差異はささやかなものでしたが、NOVAはヒットします。
 データゼネラルはそこまで特異な会社ではなかったようです。ただ、設計・製造・販売・宣伝・経営など、すべてに目配りが効いていたことによって、会社は成功しました。「目配り」というか、もしかしたら「幸運」だったのかもしれませんが。ともかく「荒っぽい」手法でデータゼネラルは成長しました。著者は会社の決算報告書を専門家に分析してもらい、この会社の目的は「成長そのもの」であると結論します。「もっと速く」「もっと大きく」「もっとたくさん」「もっと新製品を」です。そのためには行動が荒っぽくなるのも当然でしょう。
 しかし、70年代が深まるにつれて、データゼネラルは“踊り場”に到達してしまいます。そこからどこに向かうのか。昇るのか落ちるのか、どちらかしかありません。その状況で著者は一人の若者に焦点を絞ります。トム・ウエストです。
 DECは32ビットコンピュータVAXをヒットさせていました。しかしデータゼネラルにはこのジャンルのマシンがありませんでした。78年ウエストはチームを召集します。VAXを越えるマシン「イーグル」の開発チームです。ウエストはVAXをリバースエンジニアリングし、それが複雑すぎる、と感じます。自分たちのチームならもっとシンプルで安いマシンが開発できる、と。しかし、社外の競争だけではなくて、社内政治の駆け引きから、ウエストは社内で半ば秘密プロジェクトとしてチームを動かすことになります。ウエストは学校を出たての新人を大量に雇用します。優秀でボスに逆らうことを知らず何が不可能とされているかも知らない、しかも給料が安い、という理由です。彼らは生活のほとんどを新しいマシン開発に捧げます。著者に対してその生活のひどさを切々とこぼしますが、その口調はどこか楽しそうです。
 設計の第一段階はアーキテクトです。16ビットマシンのメモリーの論理アドレス空間は65000ですが、32ビットだと43億。それをどう管理・保護するのかを決めなければならないのです。取り組んだのは、これまでに開発した5つの優れたマシンをすべてお蔵入りにされてきた、不遇のワラック。紙と鉛筆を駆使してワラックは非常にエレガントな方法を考え出しますが、そのすべてが採用されたわけではありませんでした。会社の上層部からの“縛り”があったのです。といって、理不尽な命令ではなくて、それまでの16ビットマシンとソフトの互換性を保つためのものだったのですが。優秀でやる気満々の若手を揃え訓練をし、ウエストはプロジェクトをスタートさせます。非常識なくらい短期間に新しいマシンを生み出すために、プレッシャーに満ちた日々が始まります。
 しかし、35歳の人間がじいさん扱いされるとは、なんという世界でしょう。「ナノ秒」とか「2進法」が生きて使われている世界だからかな。
 開発チームに密着した著者は、物理的なコンピュータがプログラミング言語で直接動くのではなくて、それがアセンブリ言語(機械語に一番近い言語)やマイクロコードに翻訳されてから動く、ということを学びます。ここでFORTRANが登場して、私は懐かしさでいっぱいになります。私がFORTRANやCOBOLを知ったのはやはり70年代のことですから。
 著者は「開発過程」にずっと付き添っているから、実際に自分で見たことが豊富に本書には書かれています。現場に密着していて、各人の人間像についても詳しく描かれていますが、近い分、客観的に突き放して見ることは難しくなったようです。
 すべての人が様々なプレッシャーを感じています。「時間の制約」「予算の制約」「自分の能力を証明したいという欲望」「肉体的な制約」「権力闘争」「的外れの批判」「正しい批判」「失敗の予感や不安」「実際の失敗」「資源不足」「欲求不満」……まるで戦時下の人々のような印象ですが、彼らは自ら志願してそんな生活を送ったんですよねえ。なぜでしょう。
 今、データゼネラルは存在しません。32ビットミニコンピュータも存在しません。そう言えば「イーグル」が開発されていた頃には、後に私が買ったAPPLE][が開発・販売されていました。結局ビジネスコンピューターというジャンルはパソコン(APPLE][の子孫)に浸食されてしまったわけです。で、パソコン自体もまた、これから別のものに置き換えられていくことでしょう。ということは、現時点で、「イーグル開発チーム」のような生活をしながら「明日のマシン」を開発している人たちが、世界のどこかにいるのでしょう。


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