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2015年07月19日07:05

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妄想の重さ

 妄想を軽く否定する文化では、妄想と同じく「個人の強い思い」にその基盤を置く「愛情」や「希望」も、あまり重く扱われないかもしれません。

【ただいま読書中】『ポビーとディンガン』ベン・ライス 著、 雨海弘美 訳、 アーティストハウス、2000年(01年4刷)、1200円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4901142445/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4901142445&link_code=as3&tag=m0kada-22
 アシュモルの妹ケリーアン(8歳)は「想像上の友達」ポビーとディンガンを持っています。アシュモルと父さんはそれをあざ笑っていますが、実は父さんも「いつかでっかいオパールを掘り当てる」という思いにとりつかれています。「見つかるはずのオパール」の具体的なイメージも持っているのです。ところが父さんの軽はずみな行為のせいでポビーとディンガンが行方不明に。悲しむケリーアンのために父さんは必死に探し回りますが、それで「穴荒し」の汚名を着ることになってしまいます(他人のオパール発掘孔にこそこそと潜り込む行為で、西部劇だったら「牛泥棒」に相当します)。ケリーアンは食べものが喉を通らなくなって寝付き、父さんは逮捕され、母さんはホームシックと自己憐憫に取り付かれてしまいます。
 「穴荒し」の汚名を晴らすためとケリーアンに元気を取り戻すために何ができるか。アシュモルは町の人たちに頼んで「ポビーとディンガンを探すふり」をしてもらおうとします。それを見たらケリーアンは「皆が自分のために動いてくれている」と元気になるかもしれませんし、父さんの汚名も晴れるかもしれません。頼んで回るアシュモルを罵ったり乱暴する人もいましたが、捜索隊として動いてくれる人たちもいました。町の人だけではなくてアボリジニの人たちも。それを見てケリーアンは少しだけ笑顔になります。だけどやはり食べることができず、どんどんやせ衰えていきます。
 アシュモルはポビーとディンガンの死体とオパールを発見します。ケリーアンはそのオパールでポビーとディンガンのお葬式を出してくれ、とアシュモルに頼みます。アシュモルは妹との約束を守り、町の住民全員8053人にお葬式への招待状を配ります。
 お葬式の場でケリーアンは本当の笑顔を取り戻します。しかし……
 他人に見えないものに話しかけるのは、たしかに奇矯な行為です。しかし、愛する家族を失った後、自分にだけ“見える”その家族に話しかけた経験を持つ人には、ケリーアンの“見えない友達”を必死に探し回る人たちの行為の重さがわかるかもしれません。「見えない者の重さ」が伝わってくる、奇妙に重たい本です。“見えない”万力で心がぎゅっと締めつけられるような気がします。


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