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2015年06月30日06:59

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かなという漢字

大正13年4月1日に「假名文字協會」が「カナモジカイ」に改称しました。

【ただいま読書中】『文明探偵の冒険』神里達博 著、 講談社現代新書2312、2015年、800円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062883120/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4062883120&link_code=as3&tag=m0kada-22
 時代の中に生きる人は「時代の変化」を実感できるのか、という問いを著者は立てます。
 まずは暦について。そして占いサイト。
 次いでオリンピック。普仏戦争で落ち込んだフランスではドイツに勝つために「若者を鍛えよう」という気運がみなぎります。そこにクーベルタンが「古代オリンピアの祭典の復活」という自分の夢を重ねます(著者は「軍事教練のニュアンスがある近代五種をクーベルタンが導入したところに、フランスの時代背景が感じられる」としています)。クーベルタンの理想「アマチュアリズム(貴族主義)」と「普遍主義」はすぐに変質します。1906年の「幻のアテネ大会(クーベルタンの反対を押し切って実施はされたけれど公式記録からは抹消)」から「国別対抗」が始まり、36年ベルリン大会では露骨に国威発揚が行われます(聖火リレーもこの時から)。「商業主義」が登場したのは56年メルボルン大会。アディダスが自社製品を無料で配ることで広告効果を狙いました。60年ローマ大会ではテレビの放映権が販売され大会運営費をトトカルチョで集めました。これは貴族主義からオリンピックが大衆化に進む流れでは仕方の無いことだったでしょう。「商業主義」と言えば空前の黒字となった84年のロサンゼルス大会がよく言われますが、これは76年モントリオール大会が十億ドルの大赤字(完済するのに21世紀までかかっています)だったのを受けて、徹底的に支出を削減したために結果として黒字になったそうです。2020年の東京オリンピックでよく言われるのは「経済効果」ですが、ロサンゼルスの「黒字」にだけ注目するのではなくて「そのオリンピック」が置かれた「文脈」に注目・分析することが必要だ、と著者は主張します。責任者不在で新国立競技場にだけ夢中になっている国の態度からは、不安しか感じることができませんが。
 本書の“軸”は「プロフェシー(未来の予測)」と「プロジェクト(未来に向かっての現実的な人の動き」の関係に置かれています。そこで「プロフェシー」に関して宗教と科学が実は代替可能なものではないか、という指摘のあと、話は地震予知に。地震に対して「プロフェシー」と「プロジェクト」をどのように位置づけるべきでしょう?
 「不確定性原理」や「確率」を信じているから、「決定論」を私は採りませんが、「時代の節目」がやって来ることは「確率」だけでは決められない、とも思います。さてさて、この「時代」はどう変わっていくのでしょう。それとも「今」が実は「節目」のまっただ中?


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