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2015年02月08日07:18

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落ち度の有無

 殺人事件などの報道で「なんの落ち度もない被害者を」という表現がありますが、これをひっくり返したら「落ち度があれば殺されても仕方ない」ということになります?

【ただいま読書中】『世界地図の下書き』朝井リョウ 著、 集英社、2013年、1400円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087715205/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4087715205&link_code=as3&tag=m0kada-22
 小規模児童養護施設「青葉おひさまの家」を舞台とした物語です。
 小規模児童養護施設と言えば、少し前に日テレがふざけたドラマを流していましたが、逆に「お涙ちょうだいのストーリー」に堕することもきわめて簡単です。日本社会の弱者に対する過酷な部分がもろに噴き出る場所ですから、“極端”に走ることは極めて容易です。
 ということで、ちょっと身構えながら私は読み始めます。
 私は子供の時には、今とは違う世界の見方をしていました。それを本書を読んでいて、思い出してしまいました。そう、大人に言われた言葉でこんなことを思ったっけ。何か悪いことが起きたときにそれは自分のせいじゃないか、と思ったっけ。幸いなことに私は親からの虐待は受けずにすみましたが、もし子供が虐待を受けて、あるいは事情があって施設に預けられたら、こんな風に世界を見るようになるかもしれない、と自然に思われる心理描写と行動が、次々登場します。
 子供たちはままごとをします。ミホちゃんがお母さん、淳也くんがお父さん、そして三人の兄弟姉妹。彼らが切望する「家族」を、自分たちでつかみ取ろうというのです。だけど、施設の中の「家族」です。いつかは強制的にバラバラにされてしまうことが、私には見えています。彼らもそれは知っています。でも……
 ここで私の心の奥底から、映画「禁じられた遊び」を初めて見たときの衝撃が蘇ってきました。「自分」が「自分」であるために、自分が大切だと思う何かに必死にしがみつく子供の姿が“触媒”となったのでしょう。「禁じられた遊び」のラストで、戦争に家族を奪われた少女ポレットは“家族”を探しながら雑踏の中に消えていきました。では、本書では……?
 著者は何かを声高に主張したり押しつけたりしようとせず、くだらないテレビドラマのような刺激やあざとさに頼るのではなく、淡々と穏やかな口調で話を進めていきます。中心となるのは小学生の男子が成長する姿ですが、彼を取り巻く人々もけっこう自由に彼の世界に入り込んできて、養護施設だけではなくて、学校や近隣社会、行政のこともけっこう(小学生の視点から)見えてきます。読者はそういったことを自分で発見してしまうのです。
 本書の最初からずっと触れられていて、でも読者の目からは慎重に隠されていた「ランタン飛ばし」が、最後に子供たちの手によって現実化しようとします。うまくいってくれ、と私は祈ります。どうかこの祈りが通じますように。空の上にまで。地平線の向こうにまで。


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