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2014年12月16日06:53

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裁判員制度

 裁判員制度が採用されてから何年でしょう。この制度は、「市民感覚を裁判に持ち込む」がうたい文句で始まった、と私は記憶していますが、さて、どのくらい裁判官の意識が変わったのか、何か調査がされているのでしょうか?

【ただいま読書中】『新・シネマで法学』野田進・松井茂記 編、千葉恵美子・君塚正臣・笠木映里・井田良 著、 有斐閣、2014年、2500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4641184194/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4641184194&link_code=as3&tag=m0kada-22
 法律の問題を、映画を題材にわかりやすく解説しよう、という面白まじめな試みの本です。
 難しい問題を難しい言葉で説明するのは、実は簡単なことです。専門用語を駆使すれば良いのですから。しかし難しい問題をわかりやすい言葉で説明するのは、とても難しいことです。専門用語と一般用語を駆使でき、聴いている人が何をわかっていて何がわかっていないかを見抜く必要がありますから。
 「イル・ポスティーノ」は「言葉の力」が描かれた映画ですが、本書では「法律は言葉による統制である」とまず始め、ついで「言葉を抽象化することで言葉には人を動かす普遍的な力が与えられる」と続きます。その典型例が「セクシャル・ハラスメント」。個々の事例についてバラバラに禁止をかけるのではなくて抽象化してまとめることで「法の出番」が作れるのです。
 「言葉の力」に関しては「レニー・ブルース」も紹介されていますが、たしかにあの映画での「言葉」はすごかった。映画館で言葉に物理的圧力も感じましたっけ。
 「依頼人」では、裁判所の“住人”(裁判官や弁護士、検事など)が取り上げられます。ただ、日米でその性格は大きく違います。その違いの根本には、司法制度がきちんと社会に根付いているかどうかが大きい、と本書では指摘されています。何か社会的問題があったときに、日本では司法制度(つまり法律)“以外”にその解決を求めることが多いのではないか、と。
 「ポリティクス」に関しては「リンカーン」「戦場のメリークリスマス」といった“いかにも”の映画が取り上げられますが、意外だったのは「E.T.」です。本書ではこの映画を「ただのおとぎ話」ではなく、「心に潜む差別」の観点から取り上げます。差別を題材にした映画は数多いけれど、この章の最後の「練習問題」の一つ「自由と平等と議会制民主主義は鼎立できるか」は、本当に難しい問題です。「自由と平等」だけでも難しいのにね。
 「約束」にも国家は口を出します。もちろん契約のところですが。それで登場するのが「アメイジング・グレイス」「レオン」「ハゲタカ」「愛、アムール」。労働者派遣の法的規制では「この自由な世界で」。障害者の生活で「最強のふたり」。「最強のふたり」では「障害」だけではなくて「社会の中での孤独」が注目されています。
 刑罰に関しては「それでもボクはやってない」と「デッドマン・ウォーキング」。ここでは、冤罪のこともですが、日本の刑事訴訟制度の特異性も指摘されます。起訴率が低く有罪率が異常に高い、つまり、日本では検察官が裁判官の仕事もやってしまっているのです。ならば裁判官は何をやっているのでしょうねえ。そういえば「社会的制裁」という名前でマスコミによる私刑も横行していますし、日本って本当に民主主義的な法治国家なのかな?


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