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2019年09月10日11:04

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コウモリと認識

 今朝は5時前に朝の散歩に出かけた。最近は日の出の時刻が遅くなり、辺りはまだ薄暗い。日の出前に少しずつ明るくなって来る中を歩いているととても気持ちがいい。公園に入るとコウモリが一匹飛んでいた。

 このコウモリだが、都会でも頻繁に飛んでいるということに気がついていない人が結構多い。かくいう私も横浜の郊外に住み始めて40年以上になるが、最初の数年間はコウモリが飛んでいるということに全く気がついていなかった。ところが夏のある日の帰宅時に、最寄り駅で降りた時辺りはまだ薄明るかった。その時2,3メートル上の空中をひらひらと飛び交っているものがある。飛び方がどうも鳥のように直線的ではない。はじめは大きな蛾かなと思ったのだがどうも羽ばたき方がすこし違うし、少し明るいところを飛んでいても黒い影のように見える。「これはコウモリだ」とその時初めて思った。 インターネットでコウモリの飛ぶ画像を確認して、あらためてそれがコウモリであることを確信した。なんのことはない、この近所では夕暮れ時にはしょっちゅうコウモリが飛んでいたのだ。

 この時私は既に30歳くらいだったはずだ、つまり私は三十数年間一切コウモリを見た事はなかった。おそらく何度も見ていたはずなのだが、それをコウモリであるとは気がついていなかったのだろう。コウモリがどのように飛ぶかということを知っていなければ、実際にコウモリが飛んでいるところを見たとしても、それがコウモリであると「認識」することができないのだ。

 哲学においてもこれに似たようなことが言えると思う。哲学的な気づきのネタというものはいくらでも身の回りにあるのだと思う。ただ、それは言語化しないと認識できない。感覚はそれを捉えていても、我々はやすやすとそれを見逃しているのだろうと思う。
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