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2019年02月26日20:14

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メキシコに生きる日系移民たち

『メキシコに生きる日系移民たち』1988年、河出書房新社、山本厚子著。
大使館で時々お話しを聞かせて頂いている山本さん、墨米国境のメヒカリからメキシコシティ迄の3000キロ行脚を通じて日系一世の御苦労を肌で感じようとしたチャレンジは単なる日記に留まらず、帰国した後も人道支援という宿題をしっかりとこなされていました。
マヌエル アレハンドロの曲を歌うホセ ホセがお気に入りの一人だとタクシー運転手に語った山本さん、半世紀以上もメキシコに住みながら望郷の念に駆られる土肥ミサオさんを日本に返せない9人の子供達を巡る話には山本さんのみならず私も目頭が熱くなりました。メキシコ革命に巻き込まれた日系移住者、日本に蔓延っていた移民斡旋会社のインチキさ、日本政府の管理監視も不充分な中で世界中に移民という人生の選択をされ苦労された幾多の邦人諸先輩方に敬意を表します。米国による1924年の移民禁止法に運命を浚われた人々を思い遣りました。祖国日本へ帰りたいと泣き続けていた移民一世の女性達も子供が出来ると日本への帰国を諦めて母親として生き続けた、と。ダニエラ モロの「デ ミ エナモラルテ」。メキシコからスペインへ渡り、マドリッド大学留学中の山本厚子さんと邂逅し、そしてメキシコに戻ったアリシア(千代)の尼僧物語にも胸を打たれます。1968年のメキシコ五輪、トラテロルコ事件とハベリアナス会、
サッカー三位決定戦におけるメキシコvs日本の興奮を描く迫力に更なる知的好奇心を掻き立てられました。同じメキシコへの移民でも、南部へ渡った人達と北部へ渡った方達の現地への同化態度には雲泥の差があった事を知りました。60年振りの祖国日本へ帰省させようと尽力された山本厚子さんの願いが叶い、1987年10月23日に成田空港へ降り立った柳原歓一さんの興奮が手に取るように伝わりました。
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