公開時にはパスしていましたが、レンタルDVDの中にフォルカー・シュレンドルフ監督とあると、imdbの点数が5.9であっても手を出してしまいます。だって「ブリキの太鼓」(1979)までさかのぼらなくても、「パルメット」(1998)と「ボイジャー」(1991)がいい雰囲気していたもので。←20年以上も前の手形を今ごろ持ち出すのが間違いかも。
でも最近、「パリよ永遠に」という舞台劇をそのまま映画にした作品にがっかりしたことを、すっかり忘れていたという“事実”があります。やはり「ブリキの太鼓」の威光が、僕には大きかった。今回はニューヨークが舞台ということで、ロケーション効果という部分はありますが、そこまでイーストビレッジに惚れていないし、こんな高級マンションに住んでいる高給弁護士の生活だと高嶺の花でした。
物語は、ドイツの人気作家のマックス・ゾーン(ステラン・スカルスゲールト)が、新作の宣伝のためニューヨークに来て、かつての親友やかつての恋人と出会う、というもの。正式に結婚していなくても“妻”ど呼ぶクララ(スザンネ・ウォルフ、写真2)がいるくせに、かつての恋人で現在は高給弁護士のレベッカ(ニーナ・ホス)と逢びきする、という展開です。
マックスは“無一文だ”と言うけれど、出版社のおかげで滞在費などが出ているらしく、気楽なものです。一方のレベッカは、東18丁目とアービング通りの交差点近くにある高級アパートに住んでいて、何不自由ない生活。マックスという“焼けぼっくい”に対して、冷たくもあるけれど寝てくれる。こういう展開が、僕にはすんなり納得できないのでした。
アメリカ映画には時々(というかしばしば)簡単にベッドインする話があります。「フィフティ・シェイズなんたら」というエロ映画ならそれもありですが(あるいは願望を具現化しただけのピンク映画ならOK)、普通の人生ドラマの中に簡単にベッドインする話が出てくると、やはり僕はドラマに乗せられている場合以外はしらけます。この作品はアホなジコチュー作家が主人公ですから、いっそうひどい。
今回は「パリよ永遠に」という駄作があったことを、途中で思い出してしまうという絶望的な事実もあり、知ってたら見るんじゃなかったと後悔しています。←「わんぱく戦争」の坊やと同じ失敗を何回すれば懲りるんでしょうね。後の後悔先に立たずとは、よく言ったものです。
要するに、徹底的にジコチューな小説家が、周囲の(そして過去の)女たちから呆れられるだけの話であり、それをニューヨークという風景で彩ったというだけの映画。作っている連中はニューヨークで生活できてうれしいだろうけど、その歓びを映画として観客に伝えてくれない作品なので、“現場は楽しんでるんだろうな”と感じさせるだけのピンク映画と同じ(昔は併映作品も見ていたけど、最近はパスしています。それくらいの学習能力はある)。でもピンク映画ほど裸を見せないわけで、そういう意味でも残念な作品でした。
ということで、監督の名前で映画を見るということが、映画選択の最善の手段だというい事実は変わりませんが、こういう例外もあるということです。このところimdbの点数を甘く見ていたけど、たまには的確な評価をすることもあるのですね。昔の名前に釣られた僕がバカでした。写真3はロケ先で楽しく撮影しているらしい出演者と監督。個性的な顔立ちの女優ブロナー・ギャラガーも出ているけど、わ、わしの望みは、もうちいと大きい!
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