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2018年11月11日08:58

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偽札犯

 偽札の“真犯人"って、グーテンベルクだと言っていいです?

【ただいま読書中】『サバイバル! ──人はズルなしで生きられるのか』服部文祥 著、 筑摩書房(ちくま新書751)、2008年、760円(税別)
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 著者は「サバイバル登山」を実践しています。文明の産物を極力山には持ち込まない(持ち込むのは少量の米と調味料くらいで、電池で動くもの(ライトや時計)・機械仕掛け(コンロなど)・テントや寝袋まで持ち込まない)で、長期間道なき道を行く「山登り」です。なんだか、修業としての山ごもりのような感じですね。
 登山はかつては命を賭けた冒険でした。しかし文明の利器が次々導入され、極端な話、金さえあればどんな山にだって“登れる"時代になってます(やろうと思えばヘリコプターでエベレストの山頂に、も可能です)。だけどそれに対する「アンチテーゼ」もあります。たとえば「フリークライミング」。手と足だけで岩場を登るのは「おまえ、ズルしないで、ここ登れる?」という精神の行動化です。サバイバル登山もまた同じように「ズル」しないでフェアに地球に向き合おう、という行為だそうです。
 ここで私は意地の悪いことを思います。「地図はいいの?」。地図はたしかに文明の産物ですが、これがないと命にかかわるし、そもそもどこからどこを目指すのかの決定もできませんから、使ってもよいのでしょうね。
 沢に入るとまず食糧調達。毛針で岩魚を釣ります。たくさん獲れたら燻製にして山に持ち込みます。ギョウジャニンニクなどの採集もします。ちなみに著者は「調達」の中に「出会った人に『何か食糧を下さい』と言うこと」も含めています。
 著者は「サバイバル登山」について、シビアな態度です。たとえば「サバイバル登山は人が生きるということを直に感じられる興味深い体験である。だが、それは聞こえのいい前向きな表現だ。裏を返せば、サバイバル登山は欲から抜け出せない自分を、物理的に孤立させる方法論なのである。山という環境が私に禁欲的なすがすがしい生活を無理強いさせてくれるのだ」なんてことを言っています。下手すりゃ死ぬから、きれいごとだけを言って澄ましているわけにはいかないのでしょう。本書にはお盆の時期に日本海から上高地までなるべく道を使わずに移動した10日間の旅日記が登場しますが、たしかにその道程は「サバイバル」です。
 著者はテントも持たずに山に入ります。ここでふっと思い出したのが「ヒロシのぼっちキャンプ」。こちらも春から秋まではテントなしでやってましたね。ただ、自動車でキャンプ地に向かって、途中のスーパーで食糧を買っているのですから「サバイバル」ではなくて別の目的のキャンプですが、ひとりぼっちでじっと焚き火を見つめる態度には、「文明生活」とは一線を画したい、という態度が共通しているかもしれません。


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