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2018年08月15日07:10

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威張るために必要なもの

 仕事などに熱中している人は,威張る暇も精神的余裕もありません。熱中していない人は成果が上げられないので威張る根拠がありません。

【ただいま読書中】『薬で読み解く江戸の事件史』山崎光夫 著、 東洋経済新報社、2015年、1500円(税別)
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 徳川家康は、当時としては非常な長命でしたが、その一因が「自身が(下手な医者より)薬物に詳しかったこと」にあるようです。ただ死ぬ直前の腹部症状には自慢の自家製薬も効きませんでした。「鯛の天麩羅に当たって死んだ」という俗説もありますが、死亡前の病状から「胃癌の末期ではないか」と著者は想像しています。面白いのは、家康自慢の「萬病圓」を著者が復元してもらって味見をしていること。本当に長寿が可能な薬なのだったら、私もなめて見たいな。
 島津斉彬は、1週間床に伏しただけで急死しました。症状は、発熱・腹痛・下痢・気力減退。あまりに急な死で、しかもこの死が日本全体に与えた影響が大きかったことから、暗殺説(亜ヒ酸による毒殺)が唱えられました。蘭方医の侍医は最初暑気あたりと診断、西洋系のハーブ(カミツレなど)を処方し、腹部症状が出てからは薬液で浣腸を繰り返します。下痢をしているのに、これは苦痛だったでしょうね。当時コレラが流行していたことから、斉彬の死因をコレラとする説もあります。しかし便の性状が違いますし、侍医の記録にもコレラに対応する処置は全然採られていません。斉彬の周囲に「コレラ」が広がった様子もありません。だからといって、砒素の急性中毒の症状とも合いません。そこで著者は「赤痢(それも強毒性の赤痢菌によるもの)」を死因の第一候補に据えます。
 土方歳三は新撰組結成前に家伝の打ち身薬「石田散薬」の行商をしていました。この薬は新撰組の常備薬に採用されただけではなくて、明治になると陸軍にも正式採用されていました。湿地に生える牛額草を乾燥・黒焼きしたものに日本酒を振りかけて乾燥、というわりと簡単な製造工程です。それを再現したものを服用した著者は、その味の良さに驚きます。ちなみに翌朝は肩が少し軽かったそうですが、それが「薬効」なのか「プラシーボ効果」なのかは不明です。
 インフルエンザに対して漢方薬がけっこう有効だ、とか、幕末の孝明天皇の天然痘による急死は「暗殺」だ、とか、面白いエピソードや推理が詰め込まれた実に面白い本です。


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