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2017年09月02日07:14

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成功の評価

 有能な人間が成功したとき……無能な人間は「あれは単に運が良かっただけ」と評価し、怠慢な人間は「有能なんだからあれくらいできても当然」と言う傾向があります。

【ただいま読書中】『パンと昭和』小泉和子 編、河出書房新社、2017年、1850円(税別)
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 「日本のパン屋」は、安政年間、横浜の外国人居留地で始まりました。そこで外国人からパン焼きの技術を学んだ日本人や、出稼ぎ国で技術を学んで帰国した人が、日本でベーカリーを次々開きます。
 日露戦争では約8万人の捕虜が各地に収容され、彼らは自分たちの口に合う「ロシアパン(全粒粉で作った大型の直焼きパン)」を業者に指導して焼かせました。革命後は、日本にとどまった捕虜や、ロシアから亡命してきた人たちがロシアパンを焼いて売りました。帝国ホテルの初代ベーカーチーフ、イワン・サゴヤンはロシア宮廷出身の料理人で、革命から逃れて来日し1948年の引退まで「ロマノフ王朝のパン」を焼き続けました。
 第一次世界大戦ではこんどはドイツの捕虜がやってきて、各地に「ドイツ窯」が作られました。このドイツパンは、神戸や東京のフロインドリープで今でも味わえます。
 幕末期からパンは「軍隊用の非常食」として注目されていました。軽くて保存性が良いからですが、そういえば帆船の時代にはパンを二度焼いたもの(ビスケットの元祖)が保存食として活用されていましたっけ。1885年には海軍で「脚気対策」としてパンが採用され、実際にそれで脚気は激減しましたが、鹿鳴館の時代に「白米を腹一杯食べたい」日本人兵士はパンを喜んではいませんでした。やがて麦飯が脚気に有効であることがわかると、パンは米麦飯に置き換えられます。しかし陸軍では脚気対策は遅れ、日露戦争で戦病死を大量に出すことになりますが、その反省から少しずつパン食を増やしていきました。ともかく、軍隊で多くの若者がパンを食べたことが、終戦後に「パンブーム」が起きたことの一つの要因かもしれません。
 パンを食べやすくするために塗るものを明治時代には「嘗めもの」と呼んでいました。はじめは輸入品だけで、その国産化は、ジャムやマーマレードは明治・大正期、バターやマーガリンは大正末期〜昭和初期です。マーガリンは最初は魚油や鯨油を原料とした「人造バター」でした。
 戦争が始まると国内では米が足りなくなり「節米運動」が起きました。そこで「代用食」として麺類や「パン」が推奨されます。政府が「米離れ」を推奨したわけです。その内に食糧自体がなくなっていくのですが。
 敗戦日本は戦中よりも厳しい食糧危機に見舞われました(生産とインフラはぼろぼろ、配給制度の元締めの政府は瓦解、復員で人口増、だったからです)。そのため「1000万人餓死説」が唱えられ、46年5月19日には東京で「米よこせ」デモが行われます(25万人が皇居前に集結)。「日本の困難は日本の責任」としていたGHQも見かねて米政府に食料輸入解禁を申請、46年5月から食料輸入と援助が始まりました。その結果「エロア・ガリオア資金」「ララ物資」「ケア物資」などで多くの日本人が救われました。冷戦が激化すると、アメリカは「援助は軍事援助に限定」としますが、日本は「アメリカの余剰農産物(米以外)」を輸入することにします。結局大量のアメリカ産小麦が日本に流れ込み、パン食は日本にますます浸透することになりました。
 ついでですが、「ララ物資」はアメリカの日系社会(中心人物は浅野七之助)からのものでしたが、日本政府(とマスコミ)は「アメリカからの善意」とだけ日本国内に知らせました。それを明らかにしたのは、1961年にカリフォルニア州上院が浅野を「日系人差別反対と人権擁護、日本難民救済運動への尽力」を表彰してからです。日本政府かでも日系アメリカ人を差別していた、というのが何ともはやです。また、乳業各社は、学校給食会から余った脱脂粉乳を安く買ってアイスクリームやフルーツ牛乳などを生産したため、日本の酪農家が乳価引き下げに悩む、という現象も起きています。
 笑っちゃうのは、1958年に『米食低能論』(米ではなくてパンを食べれば利口になる)を発表した人がいること(慶應医学部の教授です)。なんと50万部のベストセラーです。おっと、軽々しく笑っちゃいけませんね。現在だって「○○を食べたら健康になる」「××を食べたら病気になる」が大人気ですから、やっていることは同じです。
 そして、学校給食のコッペパン。はい、味を覚えています。まずかった。昭和40年代には食パンに移行したそうですが、これは覚えがありません。小学校6年の時に「脱脂粉乳」から「ミルク」に移行したのはよく覚えているんですけどね。
 私はパンが好きですが、その好みに「アメリカ政府の対日政策」が影響している、なんて言われるとちょっと驚きます。いろんなことがこの世界ではつながっているんだなあ。


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