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2017年06月21日07:18

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シビリアン・コントロール

 この言葉の本来の意味は「市民」ではなくて「文民」が軍隊をコントロールする、ということだったはず。ところで今の日本、自衛隊を「シビル」がきちんとコントロールできると思えます? もちろん問題があるとしたら、それは自衛隊ではなくて「シビルの能力」にある、と私は見ているのですが。

【ただいま読書中】『貧困という監獄 ──グローバル化と刑罰国家の到来』ロイック・ヴァカン 著、 森千香子・菊池恵介 訳、 新曜社、2008年、2300円(税別)
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 一時ニューヨークで大流行した「割れ窓理論(軽犯罪を厳しく取り締まったら、治安は回復し、都市の質が向上する)」が実は実証を欠いた「理論」だったことが指摘されます。「割れ窓理論」を採用したニューヨーク市では、警察予算の大幅増額(同時に福祉予算の大幅減額)と警察官の増員、各警察で検挙率と犯罪発生率を競わせる政策を採り、犯罪率の低下を見ました。ところが、ニューヨークでの犯罪率の低下は実はその前から始まっていて、さらに「割れ窓理論」を採用しなかった他の都市ではニューヨークほど金をかけなくても犯罪率は同じように低下していたのです。
 しかし「割れ窓理論」に基づく「ゼロ・トレランス(不寛容)政策」は、ニューヨークから「世界」にあっという間に広がりました。「犯罪との戦争」「公共空間の奪還」といった軍事的なメタファーが用いられ、「犯罪の温床」である貧困層がまるで「外国からの侵略者」のように敵視され、さらに「敵」に(まさに外国からやって来ている)移民が含まれるようになります。
 これは政治家から見たら「一石二鳥」の主張でした。議員はゼロ・トレランスを訴えると票が稼げます。同時に国家は治安問題の責任は国家にあるのではなくて地区住民にあると主張できるのです。
 世界各国の警察で「ゼロ・トレランス」が行われるようになった頃、ニューヨークでは「ゼロ・トレランス」は「人種隔離政策」とほぼ同義の行動になっていました。黒人とヒスパニックを集中的に狙った取り締まり(それも事実無根だったり違法なもの)が激増し、白人のほとんどは「街は以前より安全になった」とアンケートに答えたのに、黒人で同じ回答をしたのは1/3でした。
 ついでですが、裁判所も予算不足に陥りました。予算は前年度と同じですが、予算が大幅に増額された警察が張り切って捕まえまくった容疑者を大量に送り込んでくるので、裁判が間に合わなくなったのです。
 ゼロトレランスの理論はさらに進化しました。「兵役の義務と同じく、就労の義務が国家によって強制されるべき」というローレンス・ミードの主張が本書には紹介されています。就労しないのは本人の責任だから、底辺層に対してはたとえ社会法や労働法に抵触するような悲惨で過酷な労働であっても許される、という主張で「強い国家」が貧困層の「モラル」を厳しく監督することが強調されます。ここで「福祉」は「刑罰の道具」として機能することになります。働かなければ刑務所送りなのですから。また「社会階級の対立」は消滅します(気をつけなくてはいけないのは、「階級」は消滅しないことです)。その代わり登場するのが「有能な者/無能な者」「責任感のある者/無責任な者」の「対立」です。
 勤勉が至上価値で、社会の底辺にいる者は自己責任でそこに留まっているだけ、という社会通念があった時代、ヴィクトリア朝時代への回帰のようです。「就労の義務」という言葉を聞くと、かつてイギリスの救貧院で一夜の保護にもれなく翌日の強制労働がセットでついてきていたことを私は想起します。
 この「(社会の「上」には)所得や税金は“自己責任”で、というリベラルな態度」と「(社会の「下」には)父権国家で強権的で不寛容な監督」のセットは、アメリカからあっという間に西欧全体に広まっていきました。この政策は「雇用の創出」も生みます。警官の増員、新しい刑務所の建設と維持……「刑罰市場」の創設です。
 「ゼロ・トレランス」を支持する「学者」の説についての分析もありますが、本書を読む限り、「地球温暖化に反対する学者の論」を読んでいるのと同じような感覚を私は得ました。「信念の強さ」と「エビデンスの乏しさ」が共通しているように思えたのです。さらに「社会保障(セーフティーネット)の欠陥を補うための手段が、厳罰化」という態度に、私は論理の危うさを本能的に感じます。現代はヴィクトリア時代よりは“進歩”している、と素朴に信じたい、という個人的事情もそこには機能しているのかもしれません。


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