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2017年06月13日04:30

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すべてを陽炎のごとく見よ

先日、「そもそも存在しないものでも『絶対確実に』存在できる」で゛、「我思う」ことによって、小説の中の人物もデカルトのように存在する、というようなことを書いたのだけれど、実はこれは逆で、デカルトの方が小説の中の人物と同じで、実は言語によって構成されたものだと考えるべきではないだろうか。もっと言えば「私」というのも言語によって構成されていることになる。
龍樹の「すべてを陽炎のごとく見よ」という言葉はそのように解釈すべきだろう。
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