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2017年06月05日06:48

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ずいずいずっころばし

 子供のころに遊んだ「通りゃんせ」も歌詞は謎でしたが、「ずいずいずっころばし」もけっこう謎ですね。「茶壺に追われ」たり「お茶碗欠いた」り、子供の時には何も思わずに歌いながら遊んでいましたが、あれは何の意味だったのでしょう?

【ただいま読書中】『東海道五十三次 お茶壺道中 顛末記』東海道五十三次お茶壺道中委員会 編、(財)平安建都1200年記念協会、1995年

「お茶壺道中」とは、徳川将軍家のための「お茶」を、宇治から江戸まで行列を組んで運んだことを指します。その“権威”は大したもので、行列に出会った庶民が土下座するのは当然、大名行列でさえ道を譲らされたそうです。三代将軍家光の時に始まり、元禄年間には総勢400人の“大名行列”でしたが、江戸末期にはわずか4人にまで衰退してしまい、大政奉還でその行事は途絶えました。それを平安遷都1200年の前年の記念プレイベントとして、当時の扮装で旧東海道(500km)を徒歩で15日かけて歩くことで再現した記録です。
 本隊の「歩き隊」は、侍4人奴8人ですが、先導(これも徒歩)・サポート・表敬訪問隊(行き先の地方自治体などに表敬訪問)・一般参加者など、のべ1000人近く。とんでもない大イベントです。平成5年(1993年)に実行されていますが、私は聞いた覚えがありませんでした。マスコミでは大々的に取り上げられなかったのか、仕事が忙しい時期でしかもコンピュータ通信にはまり始めた時期だったから私が外界のニュースに興味がなかったのか、かな。
 1年前から「テストウォーク」が実施されています。実際に当時の装束でコースを分割して歩いてみて、コースや履き物などの問題点を洗い出すとともに「宣伝」をする、という目的でした。これで、一日を通して歩ける平均速度や最長距離を決定し、草履ではなくて靴を採用することになります。50人で歩くと「行列」がどのくらいの長さになるか、宿泊場所をどう選定するか、もわかりました。実際に歩くのも大変ですが、その「準備」も大変です。
 こんな場合「東海道を歩いた人」に注目するべきなのでしょうが、私は裏方のスタッフの方に注目してしまいました。大変だっただろう、と。万全の準備をしたつもりでも、トラブルは必ず発生するもので、その対応に走り回らなければならないのですから。江戸時代のお茶壺道中の“スタッフ”は、毎回胃に穴が開くような思いをしていたでしょうね。


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