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2017年06月03日06:59

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前例

 自らが「前例」になったことがない人は、他人の仕事を「前例がない」と簡単に否定するでしょう。それは単にその人に、実力も実績もないだけのことなのですが。もしもその人に実力や実績があるのだったら、「前例の有無」ではなくて「こうやったらうまくいく」とかもっと具体的な指摘ができるはずです。

【ただいま読書中】『バベッジのコンピュータ』新戸雅章 著、 筑摩書房、1996年、1100円
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 人類は「計算」で苦闘していました。古代バビロニアにはすでに「アバカス」というソロバンがあります。最初の機械式計算機を設計したのは16世紀ドイツのウィルヘルム・シッカルトですが、パスカルやライプニッツもそのアイデアに魅了され簡単な計算機を製作しました。19世紀初頭、英国の数学者チャールズ・バベッジは本格的な機械式計算機、「階差エンジン」と「解析エンジン」を設計します。その設計図はロンドンの科学博物館に残され、忘れられていきました。しかし1985年、科学博物館は「バベッジの設計図に基づいて、第二階差エンジンを組み立てる」プロジェクトを始動します。
 第一階差エンジンは、1847〜49年にバベッジが設計し、イギリス政府の後援を得て11年間建造の努力が続けられ、一部は完成しましたが残念ながら全体は未完のままでした(完成したら、四則演算だけではなくて、多項式を解くこともできるはずでした)。次いでバベッジは解析エンジン(パンチカードによるプログラミング機構の計算機)を設計、次いで最初の階差エンジンの改良版として第二階差エンジンを設計しました。第一に比較して、精度は10桁高く、部品数は1/3という優れものでしたが、製作はされませんでした。そこで、バベッジ生誕200年の1991年を目標に、第二階差エンジンを実際に製作して動かしてみる、というプロジェクトが始まったわけです。
 6年の歳月と75万ポンド(約1億8000万円)を費やして階差エンジンは見事に完成しました。大きめの衣装箪笥くらいで重さは三トン。
 実は、ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングは、それより先に「ディファレンス・エンジン」を完成させていました。小説として、ですが。
 バベッジの“ルーツ”はいくつかあります。まず「産業革命」。ジャガード織機は模様の入力にパンチカードを使っていましたし、蒸気機関が普及しました。「フランス革命」によりフランスでは「エコール・ポリテクニク」などが設立され、科学と技術の結び付きが強くなり、その動きはヨーロッパに広まっていきました。「オートマトン(ロボットのご先祖様)」もバベッジに影響を与えました。
 バベッジはケンブリッジで数学を学びますが、学友のハーシェルやピーコックとともにイギリスで主流のニュートン式に反逆して大陸流のライプニッツ記述方の普及に努めました。発明癖もあり、ボートにも夢中、という、恵まれた学生生活を送り、卒業後はすぐ結婚、当時としては珍しい「定職を持たない学者」として活動を開始します。そして「正確な数表を作りたい」がバベッジの“本願”となります。
 数字がぎっしりと並んだだけの表は無味乾燥なものに見えますが、「正確な表が欲しい」という熱い思いは世界を変えることがあります。たとえばコペルニクスが制作した「未来の天体の予想位置の表」は、あまりに正確だったため、キリスト教会の抵抗さえ排除して、天動説を地動説に転換する原動力になってしまいました。そしてバベッジは「蒸気で計算すれば、人が犯す間違いを排除でき、人力よりもはるかに速く数表が作れる」と思いついたのです。数表の学術的価値に、テクノロジーをくっつけたところにバベッジの“新しさ”があります。
 電卓もコンピューターもない時代にそんなことを思いつくとは大したものですが、逆に、電卓もコンピューターもないからこそそういった巨大で正確な数表に対する需要があったわけです。
 シッカルトやパスカルは「桁上がり」で苦戦しました。パスカルが作った計算機パスカリーヌは「一つの桁上がり」はこなせましたが、「99+1」のような「2つ以上連続する桁上がり」はできませんでした。ライプニッツの計算機は掛け算もでき、電卓前に普及していた手回し計算機は基本的にライプニッツの計算機の直系の子孫です。
 バベッジは「階差」に注目して、計算機に多項式の数表を計算させようとしました(本書に実にわかりやすく解説されていますので、興味のある方は読んで下さい)。さらに、計算結果を印刷するときの「間違い」(校閲者のミス、活字組みのミス、印刷時のミスなど)を排除するために、機械に結果をそのままプリントさせてしまおうという発想を得ました。数字の母型を漆喰に押しつけ、そこに溶けた鉛を流し込めば活字組みが完了する、という仕組みで、これは後世のライノタイプと同じ発想ですね。
 バベッジの発想力は群を抜いています。産業に関する考察『機械類と製造業の経済について』はマルクスに大きな影響を与え、「郵便料金は全国一律・前払いにするべき」という提案はのちに「1ペニー郵便制度」として実現します。晩年には「舞台のフットライト」や「明滅式の信号システム」も発明しています。
 バイロン卿の娘、エイダは幼いときから数学と機械工作に興味を持ち、17歳の時にバベッジに出会って、階差エンジンに夢中になります。そして、エイダの「計算機への恋」は、結婚して伯爵夫人となった後も続きました。エイダに対する歴史的評価は「世界初のプログラマー」というものから「単に奇矯な行動をするだけの人」というものまで毀誉褒貶の差が激しいのですが、バベッジの講演録にエイダがつけた注釈は実に見事なもので、「プログラミング」という概念をわかりやすく解説し、さらに「サブルーチン」「ループ」「条件分岐」「ジャンプ」といった重要な概念もきちんと認識していました。
 もしバベッジがもう少し遅く生まれていたら、精度の高い部品が手に入っていたでしょうし、イギリス社会も「科学」と「技術」に対してもう少し寛容になっていたかもしれません。だけどバベッジは「その時」「そこ」に生きていて、彼にできることをしていました。それが未完に終わったのは残念ですが、少なくとも「人間」は「その時」「そこ」で「自分にできることをするのだ」という“教訓”を私たちも得ることはできるでしょう。


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