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2017年04月15日06:41

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桜模様

 一雨降った後、ある駐車場に止めてある車が全身桜の花びらまみれになっていました。天然の桜模様の自動車です。あれ、塗装で表現したものが売れないでしょうか?
 この話題、もしかしたら昨年か一昨年にも書いたかもしれません。だけど、美しいものは美しいので、かまわず書いてしまいます。

【ただいま読書中】『秘密解除 ロッキード事件 ──田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』奥山俊宏 著、 岩波書店、2016年、1900円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4000245260/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4000245260&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=895c50f8e17cf1b03469e5877751bb5e
 1972年田中が自民党総裁・総理大臣に就任してすぐ、ハワイで日米首脳会談が開かれました。ここでの「ホテル」を巡る駆け引きも興味深いものですが(田中は盟友小佐野の系列ホテルになんとか宿泊しようとアメリカの意向に逆らい続けています)、問題は「台湾」でした。アメリカも日本も、中華人民共和国を無視することは非現実的だと考えていましたが、台湾の扱いが微妙でした。特に日米安保条約での「台湾条項(台湾が中華人民共和国に攻撃されたら守る)」が日米の“足枷”となっていました。だからニクソンは71年に電撃的な訪中をしましたが、台湾とは断交をしませんでした。ところがハワイの会談で明確な合意がなかったにもかかわらず、田中はすぐに訪中すると同時に台湾と断交しました。これは安保条約に大きな矛盾(アメリカが台湾を守っても守らなくても大問題になる)を抱えさせる行為で、アメリカから見たら“背信”に等しい行為でした。キッシンジャーは内輪では露骨に田中のことを「嘘つき」呼ばわりします。キッシンジャーはもともと日本嫌い(で中国好き)でしたが、大平外相以外の日本の政治家は嫌いで、特に田中のことは大嫌いだったようです。
 当時アメリカが抱える貿易赤字の半分は「対日」で占められていました。それを是正するために田中とニクソンが合意した中に「大型機を含む民間航空機の購入」が含まれていました。はじめはDC-10が有利とみられましたが、なぜかボーイング747SRとロッキードL1011が購入されることになりました。
 72年6月「ウォーターゲートビル」の民主党本部に侵入して盗聴器を仕掛けようとした5人が逮捕。しかし大した話題にはならず11月にニクソンは楽々再選。しかし73年3月になって「事件の真相が政治圧力でもみ消されようとしているのではないか」という疑惑が浮上、ことは「ウォーターゲート事件」になります。犯人が持っていた現金の流れも問題となって捜査が厳しくなり、アメリカ証券取引委員会(SEC)は74年3月に「違法な政治献金で有罪となった上場企業はその旨を公表しなければならない」と決定します(アメリカでは企業の政治献金は禁止されています)。74年5月、司法省のウォーターゲート事件特捜班はノースロップ社を「ニクソンの再選委員会に15万ドルを寄付した」と訴追。ノースロップ社はさっさと罰金5000ドルを支払いますが、ここでSECの決定に従うために、現金の流れに関して社内で徹底的な調査をする必要が生じました。そこでサウジアラビア王族への不明朗な支出がわかりますが、その代理人カショギにロッキードも金を払っている事実が浮上します(この「カショギ」はのちに「パナマ文書」にも登場するそうです)。上院のチャーチ委員会では、外交上のトラブルを心配する政府をよそに、ロッキード社を厳しく追及します。そしてついに「嘱託尋問」「田中逮捕」へ。
 本書には、当時の自民党の幹事長中曽根から米大使館を通じてホワイトハウスに送られた公電の写しがあります。私の目を引くのは「HUSH UP(MOMIKESU)」の部分。わざわざ「MOMIKESU」と“ふりがな”を打ってありますが、そこに“本音”が出ていますね。この公電は「フォード大統領図書館」に保管されていて、2008年に秘密指定を解除されたものです。
 日本で「ロッキード事件」が火を噴いたのは76年2月5日。「日本の政治家に現金」と大々的に報じられましたが、個人の名前で出たのは「児玉」「小佐野」、組織としては「丸紅」だけで、政治家や公務員の名前は伏せられていました。三木政権はアメリカに「真相のすみやかな解明と公表」を求めますが、アメリカはその裏のメッセージ「できるだけ穏便に」を受け取っていました。
 アメリカ政府は日本政府が二枚舌を使っている可能性を探ります。しかしアメリカ政府は、ベトナム戦争やウォーターゲート事件での「二枚舌」が暴露されたことによる痛手のことを覚えていました。暴露されるのだったら、二枚舌は使わない方がまだ痛手が少なくてすむ、と。
 三木の政権基盤は脆弱でしたが、そのライバルである福田と大平がお互いに牽制したため、三木政権は安定してしまいました。ただし常に「三木おろし」の暴風は吹き荒れており、三木もアメリカ政府もそれは意識していました。田中・福田・大平派は、牽制ではなくて協力を模索し始め、ゆえに三木は「ロッキード事件」という「剣」を政敵の頭上に見舞うことで自分の政権の延命を画策します(三木政権は「クリーン」がウリだったと私は記憶していますが、本書に登場する公電はそれとは違う姿を見せています)。実はフォード政権も、「清潔」を売りにしていましたが次の大統領選挙で苦戦必至と見なされていました。「田中・ニクソン」と「三木・フォード」は、実は似たもの同士だったのかもしれません。そして76年末、フォードはジミー・カーターに破れ、三木政権の自民党は衆院総選挙で過半数割れの敗北を喫します。
 「CIAが戦後日本の保守政党に資金を提供していた」疑惑も大問題でした。三木はアメリカ政府に口裏合わせを依頼し、当時はうやむやにすることに成功します。のちにアメリカ側の公文書公開で色々わかってしまうのですが、自民党がアメリカにはとにかく“無抵抗”なのには、理由があったんですね。アメリカの対日赤字を減らすための一策として、アメリカ製兵器の大量導入も進められました。税金で貿易黒字を減らすわけですが、そこではものすごく露骨な工作が行われています。
 「田中角栄はアメリカの“虎の尾”を踏んだから、失脚させられた」という仮説が日本では根強いそうです。しかし著者が公文書から見つけたのは、「虎の尾」の状況証拠に過ぎないものだけでした。むしろ田中は「個人」として嫌われているだけで、アメリカが「政治」として危険視したのは、右翼の親玉である児玉へのアメリカからの金の流れだったようです。ただ、著者は「虎の尾が真実かどうかはさておき、それが真実であると多くの日本人が信じていること、これによって日本の対米政策に大きな影響が出た恐れがある」と述べています。それはあるでしょうね。
 本書は、日本人が書いた日本語の本ですが、巻末の参考文献の所には主に英語の文献がずらずらと並んでいます。やっと日本でもこんな本が一般向けに出版されるようになったのは、良いことだ、と私は感じています。できたら日本でも「きちんと記録を保管する」「それを決まった期限のあときちんと公開する」態度を見習ってもらいたいものです。隠したりなくしたりすることにだけ熱心になるのではなく。


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