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2015年11月12日06:38

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手段か目的か

 アベノミクスでは「大量の紙幣増刷」がせっせとおこなわれています。「2年で2%」は達成できなかったのに、まったく無反省でさらに継続されています。ということは、紙幣増刷はデフレ脱却のための「手段」ではなくて、別の目的のための手段だった、ということなのでしょうか。それともすでに「手段」ではなくてそれ自身が「目的」になってしまっている?

【ただいま読書中】『世界恐慌 ──経済を破綻させた4人の中央銀行総裁(上)』ライアカット・アハメド 著、 吉田利子 訳、 筑摩書房(筑摩選書)、2013年、1600円(税別)
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 1929〜33年の「大恐慌」により、世界は暗い時代にたたき落とされ、ナチスとヒトラーが台頭して第二次世界大戦が引き起こされました。1920年代の好景気からの転落について、本書では「イングランド銀行」「連邦準備制度」「ライヒスバンク」「フランス銀行」という4つの主要中央銀行の責任者に注目しています。この4人の中央銀行総裁は、当時新聞に「世界で最も排他的なクラブ」と呼ばれる特権集団を形成していました。なお、本書で「4人」の対極に置かれるのが、ケインズです。ただし本書では、まずはその“前”から話が始められます。
 20世紀初め、経済の世界の“合い言葉”は「金本位制」と「自由貿易」でした。金融と貿易は国際的なネットワークで結ばれ、それを保証するのが各国が保有する金だったのです。それを第一次世界大戦が蹂躙します。パニックに襲われた人々が殺到し、イングランド銀行の金準備高は、1億3千万ドルから3日間で5000万ドル以下に激減します。その激動の中に、のちの「4人」が含まれていました。ちなみに、当時世界一の金保有をしていたのはフランスで8億ドル分。開戦と同時にそれはすべてパリから田舎に疎開させられています。
 戦後処理で、もっとも強硬な態度で賠償金を要求したのは英国でした。フランスは金よりは「安全」の方を重視し、そのためには賠償金問題は柔軟な態度で扱うつもりです(とは言っても、賠償はしっかり取る気ですが)。イギリスの要求ははじめ1000億ドル、それから550億ドル。戦前ドイツの年間GDPが120億ドルですから、この要求は狂気の沙汰です。ケンブリッジの特別研究員ケインズは『平和の経済的帰結』を出版し、そこで「ドイツの乳を搾るつもりなら、その前にドイツを破壊してしまってはいけない」と60億ドルを主張します(ドイツを絞りすぎたら、支払うためにドイツはがんがん大量の輸出をしなければなりません。それは他の国の経済に悪影響を与える、という主張です)。
 ドイツはハイパーインフレに襲われました。戦前に1マルクだったベルリン市電の初乗り運賃は150億マルクです。賠償交渉だけではなくて、ヨーロッパがアメリカに対して負った負債の返還問題も泥沼化します。ここで政治家たちは次々と愚かな行動と決断をおこないます。対照的なのはケインズで、ほとんど常に正しい方向のアドバイスを政治家におこない、そしてことごとく無視されています。
 戦後のヨーロッパは、大量に発行された紙幣が満ちあふれていました。そしてアメリカには、ヨーロッパから大量に流入した金が。どちらにしても物価は上昇します。ヨーロッパは戦前の金本位制に戻ることを熱望しますが、そのためには金が足りません。さらに、金本位制に戻ることは、世界の金のほとんどを保有しているアメリカのドルと自国の通貨が固く結びつけられてしまうことを意味します。金本位制に見えて、実はドル本位制なのです。自説を変えない専門家たちの議論は堂々巡りとなり、蔵相となったチャーチルはとうとう「金本位制に戻る」と決断します。世間は喝采し、ケインズはがっかりします。そしてそれは、間違った決断でした。


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