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2015年10月27日06:54

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十字軍

 千年前、キリスト教国は連合軍を組んでイスラムに襲いかかりました。イスラムは“自衛戦争”を強いられました。
 現在、イスラム原理主義は、文化的な“十字軍”の侵略に対する“自衛戦争”を戦っているつもりなのかもしれません。「歴史は繰り返す」と。「千年」がどこかに飛んでしまっているのが歴史的な問題ではありますが。

【ただいま読書中】『倒壊する巨塔 ──アルカイダと「9.11」への道(下)』ローレンス・ライト 著、 平賀秀明 訳、 白水社、2009年、2400円(税別)
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 下巻でまず登場するのは、FBIのジョン・オニールです。有能で勤勉ですが、なかなか強烈な性格で、人間関係構築に大きな問題を抱えている人物です。90年代、アメリカは“油断”していました。自分たちが大規模テロの標的になるとは思っていなかったのです。オニールはスーダンで活動しているビンラディンに目をつけますが、それに賛成するアメリカの関係者はいませんでした。せいぜい「サウジの金持ちのぼんぼんが、道楽でテロに資金援助をしている」程度の認識です。
 ザワヒリのジハード団は活動の過激さを増し、結果としてじり貧になっていました。ジハード団から離脱したメンバーをアルカイダは吸収していきます。ビンラディンはスーダンから追放され、アフガニスタンに向かいます。そこではタリバンがその勢いをぐいぐい増していました。そしてついにジハード団はアフガニスタンに向かい、アルカイダと合併します。
 1997年ルクソール事件。エジプトのハトシュプスト女王葬祭殿遺跡で観光客をターゲットにおこなわれたテロ事件で(日本人の新婚カップルが何組も含まれていたことで私もよく記憶しています)、エジプトの世論は「反テロ」に切り替わります。実行者の背後は結局不明確ですが、スイス連邦警察はビンラディンが資金提供をしていたと断定しています。国民の支持がなくなり、イスラム主義者はエジプトでは活動ができなくなりました。“敗北”に対する分析から、急進イスラム主義者は「地球規模のジハード」を目指すことにします。
 FBIとCIAは関係がぎくしゃくしていました。協力をしなければならないのに、あるのは反目だけです。これは「哲学の違い」も大きかったことでしょう。たとえば「情報」は、CIAでは「極秘情報(秘密にして活用するべき者)」を意味しますが、FBIは本来が警察ですから「証拠として裁判に提出するもの」です。CIAから見たら、公開されたら意味がなくなってしまいます。当然、管轄争いと情報の扱い争いは激化します。
 98年ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破されます。この情報も事前にCIAは掴んでいましたが、その重要性が評価できず握りつぶしていました。しかしその後の捜査の過程で(やっと)アルカイダの情報が浮上します。ここでややこしいのは「アルカイダのキャンプで訓練を受けたテロリスト」がすなわち「アルカイダのテロリスト」とは言えないことです。他の組織に属する者もけっこういるのです(1999年12月14日ロサンゼルス国際空港爆破未遂も「アルカイダで訓練を受けたフリーランスのテロリスト」によるものでした)。FBIのオニールはすでに「ビンラディンの専門家」になっていて、彼がアメリカで大規模テロを計画していることに確信を持っていました。しかしその危機感はごく少数の例外を除き誰にも共有されませんでした。フクシマ以前に原発の危険性を訴えていた人と似た立場、なのかな。「これまでなかったから、これからもない」という神話の信者はどこにも多いようです。
 90年代にアフガニスタンでアルカイダの訓練を受けていた“新兵”たちの多くは、両親が揃っている・大学教育をうけている・それほど宗教的ではない・精神疾患がない・若い独身者・「寄る辺なき思い」を持っている、といった共通点を持っていました。1996〜2010年で“卒業生”は1〜2万人と推定されています(今そういった“新兵”たちが、「IS」に流れているのでしょうか)。巡航ミサイルでビンラディンを暗殺しようという企てもありましたが、失敗。「アフガニスタンを攻撃した」ことによる政治的悪影響だけが残りました。
 99年、アルカイダでは航空機によるアメリカ攻撃計画が立案されます。マレーシアで重大会議をしようという打ち合わせの電話をNSA(米国家安全保障局)が傍受していますが、特に追求はありませんでした。CIAは航空作戦のメンバーを何人か把握していました。マレーシアでの会議の情報も掴んでいましたがそれはFBIに流されません。マレーシアの会議では駆逐艦「コール」爆破と「9.11」についての話し合いが持たれました。マレーシアの特殊公安部は、集まった人の写真は撮りましたが、会合の中身は把握していません。2000年1月、アルカイダのメンバー二人がアメリカに入国、飛行学校に入ります。そして、イエメンで「コール」が襲われます。オニールはFBIのチームを率いて“犯罪捜査”のためにイエメンに出動しますが、そこで戦わなければならなかったのは、イエメンの軍と民兵とアメリカの“国益”を守ろうとするアメリカ大使でした。しかし、いくらオニールが人に嫌われる性格だとしても、大使自らが積極的に捜査妨害をするとは、ただ事ではありません。そのためFBIは「9.11」につながる決定的な証言をすでに逮捕された人から取り損ねます(取れたのは事後でした)。
 アメリカの法律は「最も必要としている人から肝心な情報を隠す」という奇妙な傾向があります。後知恵では、実は「9.11」に関する「ほとんどすべての手がかり」は揃っていました。ところがそれらは各捜査機関に分断され秘匿されたのです。もちろんそれらの行動にはすべて(法的)理由があります。だけど私はここで「地獄への道は善意で舗装されている」を思います。「9.11」の場合は、舗装していたのは善意だけではなくて悪意も混じってはいますが。
 オニールはビンラディン逮捕をあきらめ、FBIを辞め、第二の人生を歩む決心をします。新しい職は「世界貿易センター保安主任」。勤務開始は8月23日でした。
 「9.11」のあと、必要としている人のところに情報が集まります。そして、実行犯の名前が次々特定されます。アルカイダのメンバーでさえ、自分たちがしでかしたことの大きさにショックを受ける者がいました。そしてここから激烈なウサマ(ライオン)狩りが始まるのですが、それは別のストーリーです。


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