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2015年07月30日06:59

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お婆さんは山へ

 昔話でお爺さんが山に行くのは普通ですが、お婆さんは親孝行息子に山に捨てられてしまいます。そこで何とかサバイバルに成功するとこんどは「山姥」と呼ばれて恐れられることになります。

【ただいま読書中】『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』大塚ひかり 著、 草思社、2015年、1500円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794221177/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4794221177&link_code=as3&tag=m0kada-22
 昔話の多くは「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが……」で始まります。そしてこの二人は、働き者であり子がいないことが共通しています。
 ここに「昔の老人」の「現実」が反映されている、と著者は考えます。たとえば「働き者」であることは、老いても働くことができるくらい元気であることを示しますが、同時に、老いても働かなければ食っていけない生活であることも示している、と(「笠地蔵」のお爺さんなんか、大晦日でもせっせと働いているわけです)。
 「老人」の定義。昔は平均寿命はとても短かったのですが、それは乳幼児の死亡率が異常に高かったからで、ある程度の年齢まで生き抜いたらあとはそれほど死ななかったはず、が著者の推定です。律令では官僚の定年はなんと70歳でした。その頃は、60歳を過ぎたら老人、という決まりだったそうで、その定義は、西洋でもそれほど差がなかったようです。
 「家族」についても意外な事実が紹介されます。鎌倉時代初期の史料(大隅国禰寝(ねじめ)氏が嫡子に譲渡した下人の戸籍一覧)では、94名61家族のうち、三世代同居はゼロ、夫婦と子供で構成された家族は6家族だけ。あとは母子家庭と父子家庭、最多は単身(40名)。当時は「結婚」は庶民にとっては高嶺の花だったようです。結婚が一般化したのは江戸時代から。過半数の人間が生涯に1回は結婚できるようになります。もっとも都市部では生涯独身は当たり前のことでした(江戸では男性の半数、京では男性の6割が独身)。その行き着く先は、孤独死、あるいは孤独な老人の婚活(男は介護目当て、女は財産目当て)です。古典にはそういった老人の姿が様々描かれています。
 昔の日本で老人は、大切に扱われていたわけではないようです。老醜や老人の性愛は容赦なく作品の中で扱われます。「老人を大切に」という儒教思想は中世までの日本には浸透していないようです。
 「良いお爺さん(お婆さん)」のお隣には必ずと言っていいほど「悪いお爺さん(お婆さん)」が住んでいます。これは「人の二面性」の象徴だそうです。善と悪をデフォルメして擬人化するためには、“キャラが立っている”老人が一番適していたのだろう、というのが著者の推測です。
 本書の巻末には「老人年表」が掲載されています。そこに並べられた文献の質量に圧倒されつつ、読んでいたら楽しめます。数日前の「人魚」の時も思いましたが、歴史の切り口って、本当にいろいろあるんですね。


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