mixiユーザー(id:235184)

2015年07月21日07:16

1013 view

山に登る理由

 「そこに山があるから」はマロリーのことばですが、実はこれは誤訳で「なぜエベレストに登るのか?」という問いに「そこにエベレストがあるから」と答えたのだそうです。ところで「他人が山に登る理由をあなたはなぜ知りたいのか?」とマロリーに問われたらその人はなんと答えるのでしょうねえ。そこにマロリーがいるから?

【ただいま読書中】『アイガー北壁に挑む(世界山岳名著全集6)』フリッツ・カスパレク 著、 尾崎賢治 訳、 あかね書房、1966年、780円
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000JBKAR8/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=B000JBKAR8&link_code=as3&tag=m0kada-22
 本書の冒頭に「山はわれわれが完全と呼ぶものの一つの象徴である」とあります。これが、著者が山に登る理由なのでしょう。
 若い頃著者は自分の未熟さに挑戦するかのように、山に挑戦し続けていました。技術が向上して楽々と越えることができるようになった難所でも、天候の急変や落石、自分や同伴者のちょっとしたミスで命にかかわる事態が起きます。それを一つずつ乗り越え、著者は「岳人」として成長していき、さらに難しい山に挑戦します。
 著者が山登りを覚えたのは、ハーケン(岩に打ち込む金具)やカラビナ(ハーケンに取り付ける輪。ザイルをここに通す)が一般的に使われていて、それに対する批判の声も大きかった時代でした。スポーツ・アルピニズムとは何か(特殊な補助用具の使用は可か否か)の論争です。否とする人は可とする人を「錠前屋(腰に金具をたくさんぶら下げてガチャガチャさせている)」と非難します。可とする人(たとえば著者)は「あなたたちが登れる山は自分たちも素手で登っている。それ以上の難度の絶壁を登るのにハーケンなどを使うのだ」と返します。これはもう宗教論争の様相を呈しています。
 著者は論争よりは登攀に集中し、次々とアルプスの山(というか、そそり立つ断崖絶壁)を登ります。それぞれの山の写真がありますが、どうやってこんな絶壁を登れるんだ、と言いたくなる山ばかり。そして著者の視野に、当時まだ未踏の難攻不落の岩壁3つが登場します。しかし1931年にマッターホルン北壁がトニーとフランツ・シュミットに、35年にグランド・ジョラス北壁がペータースとマルティン・マイアーに征服されます。残るはアイガー北壁。そこに次々とパーティーがアタックし、犠牲者が続出します。8月でさえ新雪が降って岸壁はつるつるに氷結する、と言われたら、これはきつい。
 著者はまず麓からじっくりと岩壁を観察して攻略ルートを考えます。食料などをデポし、天候の回復を待ちます。そして、雪と氷と岩でできた垂直の地獄への挑戦が始まります。途中で二人組が追いついて合流。4人で協力しての登攀が始まります。麓のホテルは見物客で満員となり、新聞社の飛行機が絶壁近くを飛び回ります。著者らはじりじりと高度を上げ続けます。途中で3回のビバーク、ということは、3泊4日分(以上)の食料と水を持参していた、ということですか。どうやって担ぎ上げたのでしょう? 寝袋にザイルにピッケルや氷斧……荷運びだけで相当な苦役なんですけど。
 やたらと専門用語が出てきて、本書を初めて読んだ高校生の時には、わくわくどきどきすると同時にわからない単語を辞書で引きまくった覚えがあります。あの頃はネットが無かったので、国語辞典や百科事典のお世話になりましたっけ。そういえば登山部が高校総体に挑戦するとかしないとか言っていましたが、あれはどうなったんだったっけ?


0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031